7失点KOのロッテ・大隣憲司にかけた鳥越コーチの言葉とは

[ 2018年5月4日 09:30 ]

<ロ・ソ>2回途中降板に悔しがる大隣(中央)
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 【君島圭介のスポーツと人間】ZOZOマリンのグラウンドに出た大隣が鳥越ヘッド兼内野守備走塁コーチに呼び止められた。笑顔はない。神妙な面持ちで聞き入った。

 「俺も悔しかった」

 鳥越コーチの言葉が胸に刺さった。その前日、ロッテ移籍後初登板となった古巣ソフトバンク戦(ZOZOマリン)で、大隣は2回途中7失点を喫して降板した。試合後、2軍再調整を宣告された。

 ただの1敗だが、昨オフにテスト入団した33歳の左腕にとっては重かった。06年秋のドラフトでソフトバンク入り。2年目の08年に2桁11勝を挙げたが、その年のオフに左肘関節遊離体の除去手術を受けることになる。6年目の12年には再び2桁12勝を挙げ、WBCの日本代表候補にもなったが、腰の痛みにも悩まされていた。

 そして13年シーズン中に国指定の難病である「黄色靱帯(じんたい)骨化症」の手術を受ける。その後、3年間で9勝を挙げたが、プロ入り後初の0勝に終わった昨オフにソフトバンクから戦力外通告を受けた。

 テスト入団したロッテで、ソフトバンクを退団した鳥越コーチと再会した。

 「勝たなくちゃいけない相手だった。結果を重く受け止めて、次が本当に最後のチャンスと思って(2軍で)やって来い」

 鳥越コーチにそう言われたという。ソフトバンク時代の11年間を知り尽くしているからこそ、担当コーチの垣根を越えて叱咤激励もできる。

 登板当日は風速10メートルを超える強風に雨も加わる最悪の条件だったが、大隣は「この球団でやる以上、風はつきまとう。(相手投手の)バンデンハークは崩れていない」と言い訳にはしない。

 大隣以外に黄色靱帯(じんたい)骨化症の手術経験者がプロ野球の舞台に立ったことはない。だが、鳥越コーチからは「投げてることは奇跡かもしれんけど、やる以上は気持ちを出さんといかん」と突き放された。それがプロというものだからだ。

 大隣は言った。「見捨てられないようにレベル1つ2つ上まで這い上がりたい」。必死にもがき苦しむ姿を見守り、「俺も悔しかった」と言ってくれる人がいる。それだけでも再びマウンドに上がる十分な理由になる。(専門委員)

 ◆君島 圭介(きみしま・けいすけ)1968年6月29日、福島県生まれ。プロ野球やJリーグのほか、甲子園、サッカー選手権、花園ラグビーなど高校スポーツの取材経験も多い。現在はプロ野球遊軍記者。

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