応援歌としてのセンバツ行進曲

[ 2018年3月22日 09:00 ]

開会式(2017年)
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 【内田雅也の広角追球】作家・重松清の小説に『三月行進曲』がある。少年野球の監督を務める東京のサラリーマンが卒業・卒団する6年生の3選手を選抜高校野球の開会式に連れていく。短編集『小さき者へ』(新潮文庫)の最終話だ。

 才能十分だが、わがままなエース、決勝戦で逆転負けのエラーをした遊撃手、4番捕手の主将は私学の中学受験に失敗したと言えずにいた。

 監督の家族は妻と一人娘で<息子ができたら野球をやらせるつもりだった>。自身も元球児で甲子園に憧れていた。<息子が元気をなくしてしまったときには――甲子園に連れていってやろう、と決めていた>。

 悩める少年たちにセンバツの開会式を見せ、中学生での再スタートへ、エールを送りたい。そんな心境だろうか。

 確かに、センバツは開会式がいい。寒く、長い冬を越えて、野球シーズン到来を告げる球春の息吹を感じる。仕掛け花火や色鮮やかな代表校の垂れ幕、流行歌の入場行進曲など、夏に比べ、明るく華やかな躍動感に満ちている。

 今年は第90回の記念大会だ。入場行進曲には大会歌『今ありて』(作詞・阿久悠、作曲・谷村新司)が採用された。

 <ああ、甲子園>というフレーズが印象的で、清新なメロディー。3代目大会歌として1993年に発表された。あれからもう四半世紀、25年もたったとは時の流れを感じる。

 <新しい季節(とき)のはじめに 新しい人が集いて>と歌い出す。

 春は始まりの季節だ。新3年生、新2年生だけのチームはどこも、まだ未熟で稚拙である。だが高校生の成長は驚くほどだ。若いチームも、わずか4カ月半後、夏の選手権大会では成熟し、力強さ、巧妙さを兼ね備えるようになる。センバツはこの成長への期待や希望が込められた戦いだと言える。

 球児たちの顔にこぼれる笑顔も流す涙にも「これが最後」という悲壮(ひそう)感はない。春の陽光に照らされ、明るく、さわやかである。

 <今ありて 未来も 扉を開く>のだ。

 <踏みしめる 土の饒舌(じょうぜつ) 幾万の人の想(おも)い出>

 脳裏には過去の球児たちや熱闘がよみがえる。野球は記憶のスポーツである。頭の中にあるシーンと、今とを重なり合わせる。これが野球を見る醍醐味(だいごみ)の一つである。

 センバツで言えば、剛速球で三振を奪えば江川卓を、スライダーが切れれば松坂大輔を、低めを本塁打すれば香川伸行を、少ない部員のチームにはイレブンや二十四の瞳を思う。

 『――行進曲』では外野席に座り、入場行進に見入る。監督も<ああ、これだ>と感激する。<初めて見る光景なのに、むしょうに懐かしい>。甲子園への憧れがよみがえる。

 ただし、少年時代とは違った物の見方になっている自分に気づく。<いまは、なぜだろう。甲子園に出られなかった連中のことを思う。行進する選手の何千倍もいる、負けた選手のことが気になってしかたない>。

 大人になるというのは、いくつもの「負け」を経験することでもある。夢や希望は小さくなっていくが、乗り越え、進んでいかねばならない。センバツ行進曲は、少年たち同様、自身への応援歌として響いている。

 短編集を編む際、タイトルを、中にある一遍の『小さき者へ』としたのは、有島武郎の名作『小さき者へ』(新潮文庫)への敬意やオマージュもあったろうか。

 有島は自身の3人の息子たちに向け、ある夜にしたためた。<小さき者よ>と呼びかけ<人の世の旅に登れ><恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける>と励ました。<行け。勇んで。小さき者よ>。

 たとえ、辛くとも<今>があってこそ、過去も未来もある。この春もまた、新しい<今>を見つけに、甲子園に行こう。センバツ開会式を見よう。=敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 息子の入団とともに5年間務めた少年野球コーチを退く。3月25日が卒団式だ。子どもたちに教わることの方が多かったように思う。重松とは同い年の早生まれで同学年。田舎から東京の大学に進んだのも同じ。勝手に親しみを感じている。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。

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