厳しさ、男気と優しさ…「星野伝説」携わった人の数だけ語り継がれる

[ 2018年3月18日 10:30 ]

星野仙一氏追悼試合が行われた甲子園。星野氏が微笑む献花台に花を手向ける阪神ファン
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 3月10日、晴天の甲子園で星野仙一氏の追悼試合が行われました。阪神にも中日にも尽力したのは、改めて振り返る必要もないでしょう。闘将に最後のお別れを―。当日の甲子園には、縁のあった方々が大勢詰めかけました。その中には、03年阪神が18年ぶりのリーグ優勝を果たした際の球団社長、野崎勝義さんの姿も。献花だけして帰ろうとしていたところを、当時のトラ番記者たちに出くわし、昔話に花が咲いたわけです。

 「星野さんはもう、かけがえのない恩人です。本当に、いい思いをさせてもらいましたから」。優しい目で当時を振り返りながら、ある秘話を暴露。「実は監督を辞められたときに、私は『星野さんを社長に、私が副社長に』と、久万オーナーに言ったことがあったんです」。『阪神、星野社長誕生』なら、大ニュースになったかもしれません。ただ、「(久万オーナーに)えらい怒られましたね。電鉄の人間ではない人を社長をするのは難しいんです。企業秘密もたくさんありましたから」と、笑いながらオチをつけてくれました。そんな話を聞くうちに自然と星野氏のエピソードを思い出して、懐かしくなった次第です。

 これはある選手から聞いた話ですが、選手が「ベンチに深く腰掛けられない」理由が当時はありました。それは、試合中に怒った星野氏がベンチを蹴り上げた際、背もたれまで深く腰掛けていると「内臓まで響いてくる」というもの。かなりの時間、腹部に振動が残るというから、相当の蹴りだったようです。

 また、他の選手は“丸刈りにされた”ことがあるといいます。ある試合でミスをして、序盤で早々に交代させられた後、ホテルに戻ると、部屋の内線電話が鳴り、関係者から「明日、頭丸めてこい」という非常宣告が…。星野氏の伝言でした。しかし困ったのは、翌日が月曜日だったということ。床屋はだいたい月曜日は定休日なので、仕方なくディスカウントストアでバリカンを購入して頭を短く刈り込んでいくと、星野氏は「お前、ほんまに切ったのか?」と大笑い。ここまで書くと、誰だか分かりそうですが、携わった人の数だけ『星野伝説』はあるのです。

 野崎さんは最後まで優しい表情で、感謝の気持ちを口にしました。「野村さんが辞められたのが、12月6日の深夜でね。その時期は、もう他球団も編成を終えている時期です。今からやるなんて『火中の栗を拾うもの』と、星野さんも周りから言われたみたいです。ですから私にも大恩人です」。根底にあるのは、闘将の厳しさより優しさや男気。だから、誰の胸にも思い出が残っているのです。

 まだまだ野球界のために尽力してもらいたかったのですが、あらためて、ご冥福をお祈りします。(鶴崎 唯史)

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2018年3月18日のニュース