高倉照幸氏死去 “伝説の野武士軍団”西鉄で3年連続日本一に貢献

[ 2018年2月13日 05:30 ]

西鉄時代の(左から)中西太氏、豊田泰光氏、高倉照幸氏
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 西鉄ライオンズの「1番・センター」で、黄金時代を支えた高倉照幸(たかくら・てるゆき)氏が12日、心不全のために死去した。83歳だった。1月に体調を崩し、福岡市内の病院に入院していた。葬儀は13日、家族のみの密葬で行う。

 熊本商から53年に豊田泰光(故人)とともに西鉄に入団し、55年にレギュラー定着。豊田、中西太、大下弘、関口清治らと「流線型打線」を形成し、重量打線の「斬り込み隊長」として活躍した。56年から巨人との日本シリーズで3連覇するなど、伝説の野武士軍団と呼ばれた。63年には当時の日本プロ野球タイ記録である6本の先頭打者本塁打を記録し、チームトップの27本塁打をマークした。

 66年には巨人に移籍し、王貞治、長嶋茂雄の「ON」に続く5番打者として打棒を振るった。69年にアトムズに移り、翌70年に現役を引退。通算1793試合、1611安打、168本塁打、打率・276。引退後は福岡市の少年野球「福岡南リトルシニア」を指導。文部科学省の生涯スポーツ功労者表彰を受賞した。16年から西鉄ライオンズOB会長を務めた。

 ◆高倉 照幸(たかくら・てるゆき)1934年(昭9)12月8日、熊本県出身。熊本商から53年に西鉄(現西武)入団。3年目からレギュラーに定着し、56〜58年の日本シリーズ3連覇に貢献。主に1番・センターとして西鉄黄金期を支え59、64、66年にはベストナインを受賞した。67、68年は巨人、69年はアトムズに移り、70年に現役引退。オールスター出場9度。現役時は1メートル72、75キロ、右投げ右打ち。

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