MVPはエースのジョー

[ 2018年2月13日 09:30 ]

ジャイアンツ・ホークOB戦 OB戦に登板した城之内邦雄氏
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 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】2月11日朝、宮崎行きの全日空機を待つ沖縄空港ロビー。「体がバリバリですわ」と話しかけてきたのは藤田学だった。愛媛県の南宇和高校から1973年ドラフト1位で南海に入団し、一軍デビューした1976年に11勝3敗、防御率1・98の成績で新人王に輝いた右腕である。

 藤田は前日の10日、宮崎市内のKIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎で行われた読売巨人軍宮崎キャンプ60周年記念「ジャイアンツVSホークスOB戦」に参加し、ホークスの7番手として登板。6回1イニング、打者3人を無失点に抑えた。全身を襲う筋肉痛はその勲章だ。

 同じ便にはデーブこと大久保博元も乗っていた。こちらは代打で出場し、四球で出塁。後続打者のライト前への打球で二塁に走り、やってしまった。左太股裏の肉離れ。「テープをガンガンに巻いているんですが…」。自ら腕を振るう東京・新橋の「肉蔵デーブ」のキッチンには頑張って立つだろうが、大好きなゴルフはしばらくできそうにない。

 そんな名誉の負傷を伴った今回のOB戦。もう二度と一堂に会することはないかもしれないレジェンドが顔を揃えた。ジャイアンツは長嶋茂雄、王貞治、金田正一、森祇晶、張本勲、柴田勲…。かたや南海、ダイエー、ソフトバンクと球団名を変えてきたホークスは野村克也、広瀬叔功、村上雅則、江本孟紀…。緑色のユニホームが懐かしい。

 だが、お歳を召したレジェンドにプレーを望むのは酷だ。70歳以上で試合に出場したのは野手ではジャイアンツの4番・DHに入り、一本足で見事な空振り三振を見せてくれた王、ホークスの9番・二塁で先発した藤原満の2人。投手は両軍合わせて1人しかいなかった。

 エースのジョー、城之内邦雄である。

 ジャイアンツの11番手として6回2死の場面で登板。打者に背中を見せ、首を横に振って投げる投球フォームは健在だった。しかし、そこは78歳。18・44メートルが遠い。ワンバウンドの投球が続いたが、打席の岸川勝也が大きく踏み出し、左手をいっぱいに伸ばしてグラウンドに着く前の投球をバットで拾った。三ゴロ。私の中ではこの試合のハイライトである。

 エースのジョーは千葉県の佐原第一高から日本ビールを経て1962年に巨人入団。オープン戦で4勝0敗、防御率0・27という好成績を残し、新人ながら開幕投手に指名された。この年24勝12敗、防御率2・21で新人王に輝く。

 不滅のV9が始まった1965年から2年連続で21勝。入団5年で101勝をマークした。その後、腰痛に見舞われ通算141勝に終わったが、豪快な投球フォームから繰り出すシュートの切れ味は今も今も脳裏に焼き付いている。

 城之内の全盛期はすっぽり私の小学生時代に収まる。藤田学や江川卓と同じ62歳の私にとっては現役時代をぎりぎり覚えているレジェンドなのである。

 その渾身の投球には記者席の私よりもっと近くで三塁塁審として見ていたNPB審判技術指導員、これまた同い年の山崎夏生も目頭が熱くなったという。

 今年は巨人の宮崎キャンプ60周年で、現在は同じ宮崎でキャンプを張るソフトバンクの前身である南海球団に創立80周年にあたる。節目の年を記念して行われたOB戦。一番高い4万円のチケット(ユニホームなどのプレゼント付き)から売れたという。

 天気予報は降水確率90%で開催が危ぶまれる中、関係者が前日「運の強い人が集まるんだから、明日はできますよ」と話していた。たしかに…。予報通り朝から雨が降り続いたが、午後0時半の試合開始を1時間遅らせると、雨はやんだ。

 雨雲を吹き飛ばしたレジェンド集結。また見たい。来年はナントカ周年ないのかな。 =敬称略=(特別編集委員)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。野球記者歴36年。1980年代は主に巨人と西武を担当した。

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