片平晋作氏が死去 南海、西武、大洋で活躍 華麗な「一本足打法」で魅了

[ 2018年1月23日 06:10 ]

一本足打法で活躍した片平氏
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 華麗な一本足打法で南海、西武、大洋で活躍した片平晋作(かたひら・しんさく)氏が22日午前9時58分、膵臓(すいぞう)がんのために所沢市内の自宅で死去した。68歳だった。昨年11月に末期のがんが見つかり、手術ができない状態だったために自宅で療養を続けていた。最後は洋子夫人や息子夫婦、孫ら家族に見守られて息を引き取ったという。葬儀・告別式の日程は未定。

 片平氏は王貞治に憧れて一本足打法を始め、ユニホームの着こなしなどもまねていた。東農大から71年ドラフト4位で南海に入団。1メートル84の長身で、ダンディーな雰囲気でも人気を集めた。79年に自身初の規定打席に到達してリーグ5位の打率・329をマーク。翌80年には自己最多の21本塁打を放った。勝負強い打撃の一方で一塁の守備も堅実で、西武時代の83年にはダイヤモンド(現ゴールデン)グラブ賞を受賞。大洋では代打の切り札としても活躍した。

 引退後は西武の打撃コーチ、2軍監督、編成部長などを歴任。その後は野球解説のかたわら、13年に女子プロ野球・アストライアの初代監督に就任し、昨季もリーグの特命コーチを務めていた。野球中継では優しい人柄そのままの丁寧な、わかりやすい解説に定評があった。結婚して39年間連れ添った洋子夫人は「本人も(病気を)悔しがっていた。病には勝てず、あっという間で…。真面目で曲がったことが嫌い。優しくて、思いやりのある人でした」と話した。

 ◆片平 晋作(かたひら・しんさく)1949年(昭24)8月5日、大阪府生まれ。上宮から東農大に進み、71年ドラフト4位で南海入団。トレードで82年に西武、87年に大洋に移籍した。80年にオールスター出場。85〜87年には3年連続で開幕戦本塁打を放った。兼任で打撃コーチを務めた89年限りで現役を引退し、西武で打撃コーチ、2軍監督などを歴任した。昨季は日本女子プロ野球リーグの特命コーチ。

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2018年1月23日のニュース