阪神ドラ1馬場が黙とう 東日本大震災で被災「感謝しながら野球を」

[ 2018年1月18日 08:42 ]

阪神淡路大震災から23年。神戸方面に向かって黙とうする(左から)揚塩球団社長、馬場、熊谷
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 阪神のドラフト1位・馬場皐輔投手(22=仙台大)が17日の新人合同自主トレに風邪の症状から復帰し、18日にも予定する初ブルペンに備えた。1995年の阪神・淡路大震災から23年を迎え、練習開始前には他の新人選手や球団関係者らとともに黙とう。宮城県出身で11年には東日本大震災を経験し、「感謝しながら野球をしないといけない」と決意を新たにした。

 一時は春季キャンプへの影響も懸念されていた馬場が元気な姿を見せた。15日に風邪の症状を訴えて別メニュー調整を強いられ、16日は休日返上で調整。2日間で新人合同自主トレに復帰した。「大丈夫です」。明るい表情で強調したようにキャッチボール、ダッシュ、ペッパーなど全メニューを消化した。

 早ければ、18日にも初のブルペン入りを予定。「天気とか、いろいろな環境を見て。その日その日で判断しようかなと思います」。既に内定している1軍組の宜野座キャンプへ無事に段階を踏むことになりそうだ。

 練習開始前の午前10時には他の新人6選手を含む約60人の球団関係者と一緒に発生から23年を迎えた阪神・淡路大震災の犠牲者に黙とうをささげた。じっと目を閉じ、冥福を祈った。時間や場所は違っても、同じ思いを共有した。中学3年生だった11年3月11日に東日本大震災を経験。甚大な津波被害のあった塩釜市で被災した。

 「突然起きることですし、家が流された人もいて、町全体がぐちゃぐちゃになる状態も見ている。野球をする以前の問題で、普通の生活ができないことも経験しました。野球ができる、生活できるのがどれだけ幸せかというのは今でも思う」

 家族や親族に直接の被害はなくても、約1週間の避難生活を強いられ、小学校時代に慣れ親しんだ練習場も津波で使えなくなった。「街が壊れるまではいかなかったが、海と隣り合わせの町なので被害もあったし、困っている人もたくさんいた」。つらい光景は脳裏に深く刻まれた。

 震災から2年後の13年には地元球団の楽天が球団創設初のリーグ優勝と日本一を成し遂げ、被災地を勇気付けた。仙台育英で2年生の球児だった馬場も胸を震わせた一人だ。「元気とか、勇気を与えられるスポーツだと思う。発信できれば…」。プロ野球選手としての使命感を胸に表情を引き締めた。(巻木 周平)

 《同級生・ドラ3熊谷も》ドラフト3位の熊谷(立大)も神妙な面持ちで黙とうをささげた。馬場とは仙台育英の同級生で、11年の東日本大震災を経験し、「野球ができるありがたみや喜びをかみしめながら黙とうしました」と思いを明かした。仙台市の自宅の倒壊は免れてもガスや電気が止まり、高校入学が5月に遅れるなどした当時を「当たり前の生活ができず、普通の生活が幸せなんだなと思った」と振り返った。

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