“名将”原氏「基礎教えてくれた恩師」は父 巨人&侍率いて群抜く実績

[ 2018年1月16日 05:43 ]

野球殿堂入り発表 ( 2018年1月15日 )

故星野仙一氏のレリーフを見つめる原氏
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 永遠の「若大将」は、「名将」として確固たる地位を築いた。監督通算12年間で、リーグ優勝7度に日本一3度。原氏は「野球が大好きで大きな夢を持ってやってきた。いい成績を収められたことが、こういう形になったのかなと思う」。プレーヤー表彰では、有資格最終年の15年に6票足りずに殿堂入りを逃した。自ら「大した選手ではなかった」と言うが、指揮官として群を抜く実績を残した。

 大きな背中を追いかけてきた。原氏の野球観、勝負への心構えなどは、14年に亡くなった父・貢氏に叩き込まれた。「いい道しるべ。基礎を教えてくれた私の恩師」。東海大相模では監督と選手の父子鷹として、他の選手の数倍も厳しい指導を受けた。しかし高校生活の最後に「よう頑張った。厳しくすることでチームの和が保たれた」と伝えられたという。その言葉で救われ、巨人監督時代の自身の信念にもなった。

 「まず勝つことが一番の目的。そして実力至上主義。その2つがあればチームの和ができ、強くなる」。必要とあれば主力打者に犠打を指示するなど自己犠牲を求め、実績のない若手選手も積極登用。大胆な、常識にとらわれない用兵を自ら「新しいことへのチャレンジに恐れを知らなかった」と振り返った。

 09年の第2回WBCでは、日本代表を率いて世界一連覇。日本一&世界一の栄誉に輝いた指揮官は王貞治氏と2人だけだ。1次ラウンドの韓国戦の試合前にはプロ生活で唯一、胃の痛みを覚えて薬を飲んだ。大きな重圧をはねのけての歓喜は「大きな、大きなご褒美」と、監督生活のハイライトの一つだ。

 「今後も野球少年でありたいという思いは不変。これからもなおいっそう、野球界の発展のために貢献したい」。7月に還暦を迎えるとは思えない若々しさ。やはり原氏には「若大将」が似合う。 (鈴木 勝巳)

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