「プロもアマもない」星野さんが野球界に残したラストメッセージ

[ 2018年1月14日 09:00 ]

野球界全体の事を常に考え、チームは違っても阪神・金本監督のことも気にかけていた星野さん
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 その光景は、今でも僕の脳裏に焼き付いている。2003年9月15日。歓喜に沸いた甲子園で星野監督が宙に舞った。阪神が18年ぶりにリーグ優勝を果たした日。記者席で先輩記者が頭に大きなタオルをかぶって優勝原稿を書いていた。

 入社1年目の僕は記者として右も左もわからない状況だった。しかし厚手のタオルから漏れ聞こえる嗚咽だけははっきり聞こえた。泣いている…。球場が揺れるほどの興奮に包まれたグラウンドと記者席は別世界。まさに異様な光景だった。リーグ優勝の感動と、苦しみ戦っていた星野監督の胸中を思った先輩記者は複雑な心境が交差。思わず感情を抑えきれなかったのだった。「マスコミも戦力」。そう阪神の監督に就任した直後から公言していた。その言葉と愛情に当時、タテジマを追いかける多くの報道陣たちは、いつの間にか星野ファンになっていった。

 監督から勇退することを直接告げられた際、スポーツ紙の監督を担当していた記者たちはほぼ全員が涙を流して悲しんだという出来事も聞いたことがある。なぜ、ここまで人を引きつけるのか。その魔力は何か。当時、新米記者だった僕は、あまり取材機会にも恵まれなかったため魅力がわからなかった。ただ、記者歴を重ねるにごとに人を通じて知ることになった。

 今振り返れば、晩年だった近年も変わらず夢を語っていた。もう“時効”の出来事もある。実は昨年、星野氏は多くのアマチュア関係者とも積極的に話していたという。現在でも基本的にプロとアマは許可がない限り「接触」は禁止。しかし、人生の終わりが近づいてきていることを知って事を急いだのだろう。残された時間がわずかながら、それまで面識がなかったアマチュア関係者に対しても一人、一人にアマチュアの現状や未来などの意見を真剣に聞いていたという。

 「初めて話しましたけど、すごい方です。本当に野球界全体のことを考えておられた。あそこまでの方なのに、私以上に野球界のことを考えておられた」

 現在はアマチュア球界の現場を離れた、ある人は星野氏の情熱に引き込まれ忘れかけていた野球への熱意を思い出していた。昨年1月16日、殿堂入りが発表された際にも野球の普及活動、発展について言及。受賞会見では野球界の未来について多くを語った。「野球界全体。子どもたちの底辺拡大。高校、大学、社会人も結集して、野球界が1つになっていくことを後押ししたい」。また、昨年11月、12月に東京と大阪で開催された殿堂入りパーティーの壇上でも悲願達成の実現を夢に見ていた。

 「プロもアマもない。野球界(全体)と考えれば底辺も拡大する」

 くしくも、これが野球界に残したラストメッセージとなった。また、阪神と楽天の日本シリーズ実現も熱望。訃報を受けた際に金本監督は「関西の父親代わりみたいな存在だった」と突然の旅立ちを悲しんでいた。その指揮官が表現した言葉を僕は実感した。昨年6月16日、楽天との交流戦。試合前の練習中だった。楽天の球団フロントに促されて、打撃ゲージ裏に立っていた星野氏のもとにあいさつに出向いた。

 あいさつの時間は1、2分だっただろうか。2003年から阪神を担当していたことを告げた。すると、最後に言った言葉に親心を感じた。「金本(監督)を応援してやれよ。まあ頑張れ」。チームは違っても、いつでも金本監督のことを気にかけていた。そして、あまり面識のない他球団の担当記者である僕にも「頑張れ」と言ってくれた。野球界の発展と、古巣同士の日本シリーズ実現を夢に見た闘将。その燃える男の遺言、そして決して燃え尽きることのない魂は、残された者へと引き継がれるはずだ。(山本 浩之)

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