【星野の記憶2】中村武志氏 怒られ、殴られ、蹴られたけど…笑顔忘れられない

[ 2018年1月9日 09:30 ]

星野の記憶2~語り継がれる熱き魂~元中日・中村武志氏

昨年2月、楽天対KIAの練習試合前に笑顔で記念撮影する星野副会長(左)と中村コーチ
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 まだ信じられない。あの星野さんが亡くなるなんて。思い出は怒られたことばっかり。とにかく怒られた。ずっと怒っていた。あんなに怖い人はいなかった。でも感謝しかない。星野さんに出会ってなければ今の自分は間違いなくいないから。顔を見れば怒鳴られて。殴られて、蹴られて。今となれば、その全てが自分の勲章だと思える。

 初めて会った時のことは忘れもしない。2年目のシーズンが終わって、浜松の秋季キャンプ。最初のミーティングでいきなり俺と山本昌さんが名指しされた。「おまえら体ばっかりでかいだけで!このアホが!」。何で怒られているのか分からなかったけど、やばい人だとすぐに分かった。あんなに怒られたけど、この人についていけば間違いないと信じていた。プロに入ってからは親以上の存在。こんなふうに思える人に出会えたことは本当に幸せだと思う。

 笑顔の記憶もある。実は優しい人。オールスターに初出場した時、第1戦の前日に星野さんがホテルを替えてくれた。行ってみたら帝国ホテルのスイートルーム。「オールスターに出るんや。これからはこういうところに泊まる人間にならんといかん」って。夜は立浪と高級ステーキ店でめちゃくちゃうまい肉を食わせてもらった。「どうや、うまいか」と言いながら穏やかに笑っていた。

 最後に会ったのは、昨年11月末の殿堂入りパーティー。ちょっと元気がなさそうだった。あの人の一番激しい時代に近くにいたから、会うたびに弱々しくなっていると感じていた。12月中旬。こちらから電話をかけて話したのが最後の会話だった。「腰が痛くてな。どうにもならんわ」と珍しく弱音を吐いていた。「来年も韓国でやります」と言ったら「おまえは韓国ぐらいがちょうどいい。何かあればいつでも電話してくればいい」といつもの調子で返ってきた。最後は「体には気を付けて、まあ頑張れや」と。気遣ってくれた声が今も耳から離れない。

 ◆中村 武志(なかむら・たけし)1967年(昭42)3月17日、京都府生まれの50歳。花園から84年ドラフト1位で中日入り。星野監督に見いだされて正捕手に。その後、横浜(現DeNA)、楽天でプレーし、05年限りで現役を引退。通算成績は1955試合に出場し、打率・242、137本塁打、604打点。球宴出場8回。横浜、中日、ロッテでバッテリーコーチを務め、15年から韓国・KIAコーチ。右投げ右打ち。

 ≪正捕手でリーグV2度≫ドラフト1位で中日に入団した中村だったが、2年目を終えて1軍出場はなかった。星野監督が就任した3年目の87年に1軍で使われ始め、鉄拳を浴びながら鍛えられた。「武志は毎日泣きながらノックを受けとった」と星野氏。翌88年にレギュラーに定着し、リーグ優勝に貢献。その後は10年以上、正捕手を守り続け、99年に2度目の優勝を果たす。オーストラリアでの優勝旅行ではシドニーのオペラハウスで一緒に写真を撮り、中村氏は「あの時の笑顔が忘れられない」と懐かしんだ。

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