昔も今も――「申告敬遠」に反対する理由

[ 2017年12月28日 09:30 ]

敬遠球を打ちに出て、サヨナラ打を放つ阪神・新庄。投手は巨人・槙原(1999年6月12日、甲子園球場)
Photo By スポニチ

 【内田雅也の広角追球】プロ野球が来季から採用する「投手が投げない四球」、いわゆる「申告敬遠」はかなり昔から論議されていた。アメリカ野球殿堂(ニューヨーク州クーパーズタウン)公式サイトに説明がある。

 1956年3月、大リーグ、アメリカン・リーグのオープン戦で試験的に導入された。

 当時、大リーグでも長引く試合時間が問題となっていた。今からすれば相当に短いが、1955年の平均試合時間は2時間31分で、前年より3分延びていた。この「投球省略説」はスピードアップに向けて「革命的意見」だと、ウインターミーティングでア・リーグ会長が評価していた。

 だが一方で、当時レッドソックス監督のピンキー・ヒギンスが反対を唱えている。

 「敬遠は常に重大な局面で訪れる。投手はボールを投げるべきだ。何でも起こりうるし、また実際、起きている」

 いま、日本で起きている論議とそっくりではないか。つまり、大リーグが今季から導入した申告敬遠制度は提案から61年を経て実現したわけである。

 1989年に原本が出たジョージ・F・ウィルの名著『野球術』(文春文庫)では「いまの野球は、あるべき姿から外れている」と嘆く老人が紹介されている。ただし、この嘆きが掲載されているのは1916年発行の『スポルディング・ベースボール・ガイド』だというオチがつく。<野球のかたくななまでに伝統的な側面>だというわけである。

 そう、野球は、いや野球を思う心は、昔も今もほとんど変わっていない。

 申告敬遠に反対する。

 敬遠を巡るドラマがなくなる、という理由も確かにある。小林繁(阪神)は敬遠球をサヨナラ暴投して敗戦投手となった。柏原純一(日本ハム)、ウォーレン・クロマティ(巨人)、新庄剛志(阪神)らは敬遠球を快打してみせた。原辰徳は東海大相模高2年夏の甲子園大会で打席で「勝負してくれえ」と叫んだことがあった。松井秀喜の星稜高時代には物議を醸した明徳義塾の5打席連続敬遠もあった。

 野球は間(ま)のあるスポーツである。投球と投球の間に監督も選手もファンも思いを巡らせる。あの間がなくなるのは何とも味気ない。

 今年9月18日のメッツ戦で初めて体験したイチロー(当時マーリンズ)が「あれは(ルールを元に)戻さないと駄目でしょう。空気感があるでしょう。4球の間に。面白くないですよ」と話している。

 目的は時間短縮で敬遠1回につき、1分間の短縮が見込まれるという。だが、実際に敬遠場面などめったにあるものではない。今季導入した大リーグも昨年の平均3時間4分から同3時間8分と試合時間が延びている。時間短縮の実効性はほとんどないと言える。

 先日もラジオ番組の収録で阪神のオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)、掛布雅之が慎重論を投げかけていた。

 「野球には“間”がある。勝負の綾と言ってもいい。それをどう感じるか。時間短縮といってもどれだけ違うのかも疑問だ。ファンはどう思ってるのかな?決める前にファンの意見を聞いてみてはどうか」

 プロ野球はすでに選手会も「問題はない」と同意しており、導入はすでに決定的だ。来年1月11日のプロ・アマ合同規則委員会で正式に決まる見通しだ。

 アマチュア野球に関しては各団体の判断に委ねられる。社会人・大学も同調する態度を示しているそうだ。

 高校野球は1月22日に開く日本高校野球連盟(高野連)審判規則委員会で話し合い、方向性を出す。竹中雅彦事務局長は「まだ何も決まっていない」と話すが、来年からの導入は見送る構えでいるようだ。関係者によると「まずは現場の意見をよく聞くべきだ」との声が強い。掛布と同じ慎重論で、賢明だと言えるだろう。加えて、平均2時間で終わる高校野球は、世界的にも、時間短縮の手本を示しているとの自負もあろう。

 プロ野球など日本の野球界は、古くからルールを大リーグにならってきた。大リーグが導入した何年か後に追随してきた歴史がある。

 今回の申告敬遠についても「いずれ世界的に導入される。国際化の流れに逆らうわけにはいかない」という声がある。世界野球ソフトボール連盟(WBSC)世界ランク1位の国として「率先して時間短縮に取り組むべき」との声もある。ただし、意見集約もせず、何でも大リーグに右にならえでは、それこそ姿勢が問われよう。

 野球の普及・振興など将来を見据えた活動をするために発足した、プロ・アマ合同の日本野球協議会がある。時間短縮は大きなテーマである。

 ある委員は「申告敬遠だけを取り上げて時間短縮というから、おかしなことになる」と話していた。「投球間隔や攻守交代のインターバル短縮など、時間短縮に向けて他にやれることはいくらもあるはずだ。そのなかの一部として申告敬遠がある、という提案なら受け入れられやすいのだが……」

 冒頭に書いた1956年の大リーグでは「監督のマウンド訪問は1投手1回」とする規定を導入していた。今のプロ野球では当たり前のルールだ。申告敬遠も将来、当然のルールになっているだろうか。 =敬称略= (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。和歌山リトルリーグで投手だった少年時代、敬遠の練習をさせられた。緩く投げすぎるとフォームが崩れ、敬遠後の打者に対して球威は落ち、制球が乱れるのだ。実際、試合で敬遠場面はなかったが、監督の深謀遠慮に感心した思い出がある。桐蔭高―慶大卒。1985年4月入社。

続きを表示

この記事のフォト

2017年12月28日のニュース