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プロに必要なサンタクロースの心

伊丹心身障害対策市民懇談会主催のクリスマス会に参加した阪神・陽川(中央左)と才木
Photo By スポニチ

 【内田雅也の広角追球】サンタクロースはいるのですか?

 子どもなら皆が抱く純粋な疑問に答えた、有名な新聞の社説がある。

 今から120年前の1897年、ニューヨーク西95丁目に暮らす8歳の少女、バージニアちゃんは友だちから「サンタクロースはいない」と言われた。父親の「分からないことがあったら、サンしんぶん」という勧めで、ニューヨークの新聞「ザ・サン」に手紙を出した。フランシス・チャーチ論説委員が書いた返事は社説となって掲載された。

 「バージニア、それは友だちの方が間違っているよ」と書き出し、「そうです、バージニア、サンタクロースはいるのです」と明言している。

 「サンタクロースがいなかったら、素直に信じる心も、詩も、夢のような物語もなく、人生はちっとも楽しくないでしょう。わたしたちが喜びを感じるのも、目で見たりさわったり聞いたりできるものだけになってしまいます。そして、子どもたちが世界中にともした永遠の光も、消えてしまうことでしょう」

 小説『星の王子さま』のように、本当に大切なものは目には見えないのだ。素直な心、寄り添う気持ち、信じることの素晴らしさを伝えている。

 バージニアさんはおとなになると教職に就き、47年間、子どもたちを教え続けた。

 この社説は読者から幾度も再掲要請が相次ぎ、1920年代には毎年、クリスマスに掲載されるようになった。今も世界中で語り継がれている。

 今年もまた、子どもたちの枕元に贈り物が届いていたことだろう。聖夜、その姿をひと目見ようとがんばった子どもたちが寝入ってしまったころに、やって来たはずだ。

 「純粋さに心を打たれるんだよ」と、つい先日会った、柏原純一さん(65)が話していた。八代東高(熊本)からドラフト8位で南海(現ソフトバンク)入り。日本ハム、阪神と渡り歩き、ベストナイン3回、ダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞4回などに輝いた内野手だった。

 1軍初昇格した1973(昭和48)年から毎年オフ、故郷・熊本の重症心身障害児施設、芦北学園(現・くまもと芦北療育医療センター)を慰問に訪れていた。八代東高の先輩が同施設に勤務していた関係から交流が始まった。スポーツ用品やおもちゃなどプレゼントを大量に持ち込んだ。もちつき大会などで一緒に遊んだ。外に出られない重症患者には病室を訪ねて回った。当初は自身の給料も低く、カンパしてもらって、何とか続けたそうだ。

 「まだ無名の選手だったが、プロ野球選手だというだけで子どもたちは喜んでくれた。あの子たちが一番ほしいのは健康で丈夫な体だろう。自分はおかげさまで元気に野球ができていた。それが憧れの対象だったんだと思う。あの子どもたちを励ますことが自分の使命だと思ったし、逆に励みになっていた」。純粋な心で通じ合っていた。

 12月21日、伊丹市のスワンホールであった伊丹心身障害対策市民懇談会主催のクリスマス会「手をつなぐ市民のつどい」には、阪神から陽川尚将内野手、才木浩人投手が参加した。阪神とはもう30年以上、交流が続いている。

 きっかけは、いま統括スカウトを務める佐野仙好さん(66)だった。現役時代の1977(昭和52)年、飛球を追って川崎球場で左翼フェンスに激突、頭蓋骨陥没骨折の重傷を負った。リハビリ中、伊丹市の障害者の女性から励ましの手紙をもらって感動し、復帰後、交流が始まった。

 「最初はたくさん、クリスマスケーキを持って来てくれたんです」と当時を知る女性が教えてくれた。シーズン中、甲子園球場に招待する「佐野シート」も続けた。今は後輩の選手たちに引き継がれている。

 懇談会の幹部は「参加者の方々の表情をご覧ください」と話していた。じゃんけん大会、質問コーナー、サイン会……と交流した子どももおとなも本当の笑顔があった。

 22日には大阪・和泉市の大阪母子医療センターのクリスマスパーティーに北條史也選手が参加している。球団によると、才木も北條も「地元ですから、ぜひ参加したい」と自ら申し出てきたそうだ。北條は「引退するまで続けたい」との意向を示している。

 当欄で先に書いたように、阪神にはプロ野球選手の社会貢献・慈善活動の先駆けとなったOB、若林忠志氏の存在がある。球団では「若林忠志賞」を設けるなど、グラウンド外の活動を推進しており、揚塩健治球団社長が1、2年目の若手選手に「社会貢献活動をしよう」と呼びかけている。

 揚塩社長はこの講話の意味を語っている。「選手自身が人の道に反することがないよう、子どもたちや施設の子たちの顔を思い出して、踏みとどまってほしい。社会人教育の一環として社会貢献を勧めました」

 柏原さんの言う「励まし・励まされ」の姿勢にも通じている。「芦北学園の訪問を始めてから成績も伸びていった」というのも確かだ。

 戦後を代表する本塁打王、大下弘が「童心」の大切さを説き、村山実にサトウハチローは「わらべごころが豊富に残っている」と詩に書いた。プロ野球選手にとって、心の成長の元となっているのは純粋な子どもの心、サンタクロースを信じる心かもしれない。 (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 小学校の卒業文集『21世紀のぼくたち』で「2001年には野球記者をしている」と書いた。野球好きだが「プロ野球選手は無理」だからの次善策で、純粋さはともかく、夢がかなった現在に感謝している。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大。85年4月入社。

[ 2017年12月25日 09:30 ]

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