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清宮の「21」に思いを寄せて――「日本・ロベルト・クレメンテ賞」の思い出

日本ハム新入団発表で、背番号21を背に笑顔を見せる清宮
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 【内田雅也の広角追球】前回書いた阪神の新人研修会で、揚塩健治球団社長は若林忠志氏に続いて「ロベルト・クレメンテを知っていますか?」と若手選手たちに問いかけていた。

 若林氏は全員知っていたのだが、クレメンテは誰も知らなかった。残念ではあるが、今の日本の若手選手では仕方ないかもしれない。それでもプロ野球選手なら知っておきたい。若林氏同様、プロとしてのあり方を身をもって示したスターである。

 クレメンテにまつわる話を書いてみたい。

 今も保存しているファクス受信紙を見直すと、日付は1998年4月28日とある。ノンフィクション作家、佐山和夫さん(81)からの連絡で、プロ野球界に「日本ロベルト・クレメンテ賞」創設を呼びかける趣意書(素案)だった。

 むろん、大リーグのロベルト・クレメンテ賞にならった表彰制度だ。いわゆる「球場外のMVP」。社会貢献や慈善活動で顕著な功績を残した選手に与えられる。

 クレメンテは34年、プエルトリコ生まれ。大リーグ・パイレーツで通算3000安打、MVP1回、首位打者4回などの大選手である。

 故郷プエルトリコにいた72年12月23日、ニカラグアの首都マナグアを襲った大地震で救援活動を続けた。食料、薬品、衣料品、日用品…と救援物資を送り、テレビ、ラジオで支援を呼びかけた。クリスマス休みもなく、献身的に1日16時間働いた。

 大みそかの12月31日には救援物資を積んだチャーター機で現地に向かったが、エンジントラブルでカリブ海に墜落、不帰の人となった。38歳だった。懸命の捜索にもかかわらず、遺体はついに見つからなかった。

 翌73年、引退後5年以降という規定に特例を設け、野球殿堂入りを果たした。大リーグ機構(MLB)は71年創設のコミッショナー賞をロベルト・クレメンテ賞と改めた。その年、最も人間愛にあふれた選手に贈られる同賞は今も大リーガー最高の栄誉とされる。

 佐山さんは85年に取材を通じて妻・ヴェラさんと知り合い、「ご主人の遺志を継ぎ、日本にも同じ賞をつくります」と約束した。その功績は86年刊行の『ヒーローの打球はどこへ飛んだか』(TBSブリタニカ)で紹介している。

 賞の創設は難航していた。ファクスには<もう10年以上たちました。しかし、約束は残ります>とあり、<日本・ロベルト・クレメンテ賞の新設>を呼びかけていた。赤瀬川隼(作家)、池井優(慶大教授)、西田善夫(NHKアナウンサー)、衣笠祥雄(野球評論家)の各氏ら10人の発起人グループができていた。<これまで1人でしたが、ラインアップも強者を集めましたので、何らかの打点を挙げられるのではと思います。貴兄のお力添えを――>。手書きの丁重な文面で支援を依頼されたのだった。

 何とか紙面で援護しようと、「趣意書を送ったが、まだ返事はない」というコミッショナー・川島広守氏(2012年没)に取材をかけた。東京・調布の自宅前で待っていると、車で帰宅した川島氏は「どうしたんだ?」と驚いた。趣旨を伝えると「書類が手もとに届いていないので正式な返答はできない。しかし、野球界にとって素晴らしいことだ。よく検討して表彰を考えてみたい」と前向きな回答を聞き出した。特ダネではないが、喜び勇んだのを覚えている。

 紙面ではアロンゾ・パウエル(阪神)の施設の少年少女・甲子園招待やチャリティー野球大会、野田浩司(オリックス)の阪神淡路大震災遺児基金、田口壮(オリックス)の宮っ子基金など選手の社会貢献活動を紹介する原稿をちりばめ、98年5月26日付、カラーの5面で特集として掲載となった。見出しで<グラウンド外のMVPも表彰><日本にもクレメンテ賞を><川島コミッショナー、前向き検討を約束>とやった。

 上司を通じ、社として賞の主催や後援ができないものか、とかけ合ったが、話は進まなかった。当時36歳、若造の野球デスクでは訴える力も弱かったのだろう。

 賞は翌99年、「ゴールデンスピリット賞」という名で実現した。日本野球機構(NPB)が後援。主催がライバル新聞社になったことは瑣末(さまつ)なことだ。何より、この賞でプロ野球に社会貢献や人道的精神が育つことを願った。同紙の先輩記者と佐山さんを囲んで実現を祝った。

 第1回受賞者は少年のいじめ防止キャンペーンを続ける松井秀喜(巨人)。今年第19回は自身も患者の糖尿病の研究基金への寄付を続ける岩田稔(阪神)だった。候補選手を見れば、年々広がりも深まりも見せている様子が分かる。長く担当していた阪神は、2011年に「若林忠志賞」を設け、選手の活動を奨励している。この二つの賞は、自分の中で兄弟のような間柄とみている。

 佐山さんが夫人に約束した通り、クレメンテの心は伝わった。前出の著書のあとがきで日本での賞の創設を主張していた。<それはまた日本とプエルトリコとを、そしてさらにはアメリカ本土とをも結ぶ人間理解の糸車の役を果たしてくれる>。紡ごうとしていたのは人間味ある社会だった。

 クレメンテを知ってほしい。その点で喜ばしかったのは日本ハムに入団した清宮幸太郎(早実)の背番号である。

 「21」について大渕隆スカウト部長は「モデルとしてイメージしたのはロベルト・クレメンテ選手」と語ったそうだ。パイレーツの永久欠番になっている。「打者として活躍したばかりではなく、社会貢献に力を入れた選手。社会に向けても発信力を持つ人間になってほしいという願いも込めました」

 新時代のスター候補がクレメンテを背負う。あのファクスから20年。時代は前に進んでいる。「なぜ21番?」と問われれば、ぜひ、その名を答えてほしい。 (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 日本人大リーガーがいなかった1994年、大リーグ・オールスター戦の取材でピッツバーグを訪れた。パイレーツ本拠地スリーリバース・スタジアム(当時)前の広場にクレメンテの大きな像があった。親が子に先人の功績や歴史を語り継ぐ場所だった。1963年2月、和歌山市生まれ。慶大卒。2007年から大阪紙面でコラム『内田雅也の追球』を執筆。

[ 2017年12月16日 10:00 ]

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