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若虎に社会貢献のススメ――若林精神の承継目指す阪神

少年を指導する阪神・若林忠志=若林忠晴氏所蔵=
Photo By 提供写真

 【内田雅也の広角追球】今月1日付で就任した阪神の新球団社長・揚塩(あげしお)健治(57)は6日に開いた新人研修会で、大山悠輔や坂本誠志郎ら9人の入団1、2年目の選手に問いかけた。「若林忠志さんを知っていますか?」

 全員がうなずいた。偉大な先人を敬い、後世に伝える。球団として大切な教育ができていた。

 揚塩は選手に「社会貢献をしましょう」と呼びかけた。「何百万円も使えとは言いません。実家の近くでも高校でもいい。半日でも2時間でもいい。プロ野球選手は夢と希望を与える立場にあります。そういう職に就いたのだから、恥ずかしがる必要はない。1年目からなら、スタートも切りやすいでしょう」

 若林忠志(1908―65年)は球団創設時から在籍した投手で、監督も務めた。投手として237勝という実績以上に社会貢献、慈善活動に尽くした姿勢が評価される。阪神では2011年、その功績をたたえ、「若林忠志賞」を創設。「継続的に社会貢献活動やファンサービス活動に取り組み、野球人として優れた見識を持つ選手」を毎年表彰している。

 第7回となった今年、特別賞を阪神選手会に贈った。2005年からチャリティーオークションで得た収益を恵まれない子どもたちや国内外の被災地救済のために寄付している。その額は累計1億8000万円を超えた。

 だが、個人に贈られる本賞(大賞)は初めて「該当者なし」。候補者はいたのだが、成績との兼ね合いもあり見送られたようだ。選考した一人、前球団社長・四藤慶一郎(57)は「選手の育成同様に精神も育てていくことが球団としての課題です」と話していた。

 若林賞の表彰状には「若林氏の精神を承継するものと認め――」との文言がある。重要なのは「精神の承継」、つまり伝統をつなぐ意識だろう。

 その若林はオフシーズン、今ごろの時期になると「ほとんど家におりませんでした」と次男・忠晴(78=会社社長)が語っている。全国各地の養護施設や小学校などを慰問に訪れていた。

 「父は『おまえたちには両親がいるじゃないか。世の中には親のない子どもがたくさんいるんだ』と出かけていきました。あちこちに戦災孤児がいましたから」。戦後間もないころの話である。

 たとえば、神奈川県大磯町の戦災孤児の施設、エリザベス・サンダース・ホームとの交流は1948年(昭和23)2月の設立当初から続いた。創設者で岩崎弥太郎の孫娘、沢田美喜と「二世連合会」副会長の若林は戦前から親交があった。占領軍兵士と日本人女性との間に生まれた子どもたちは偏見と貧困に苦しんでいた。幼児が成長し1956年(昭和31)、施設内に聖ステパノ学園小学校ができると、赤い色のユニホームを贈り、野球チームをつくった。「不幸な子どもたちに希望を持たせたい」と有望選手にプロ野球の入団テストを受けさせた。

 スポニチ本紙にサンタクロースの格好をした若林が大阪・豊中の克明小学校を訪れた記事が載っている。1950(昭和25)年12月24日付1面である。お菓子、絵本、おもちゃのプレゼントを配り、「クリスマスは不幸なお友だちに幸福が来るようにお祈りする日です」と諭した。

 1949(昭和24)年12月、奈良少年刑務所を訪れて贈った優勝盾(若林杯)と野球(後にソフトボール)大会創設の話は以前当欄で紹介した。揚塩は球団常務時代の2009年、同所受刑者代表が巻紙に墨で書いた若林への感謝文の存在に感動を覚え、甲子園歴史館での展示に動いた経験があった。2010年にはファンや地域社会との「夢」「絆」をテーマとした「ドリームリンク・プロジェクト」を立ち上げている。

 奉仕・慈善活動に尽くした若林の逸話をあげればきりがない。ハワイに生まれ育った若林は戦前から大リーガーの姿勢を知り、学んでいた。戦後の荒廃期、日本のプロ野球に社会貢献といった考え方などない時代に「プロのあるべき姿」を示したのである。

 元コミッショナー、根来泰周(2013年没)は2004―08年の在任中、選手会との労使関係、セ・パ両リーグや球団間の対立が目立っていた中、繰り返し「今の世の野球界はおかげさまの心が必要だ」と説いた。

 和歌山市の実家が浄土真宗の末寺で、住職の資格も持っていた。西本願寺鹿児島別院が主宰するハートフル大学に招かれ、講演したことがある。

 「戦後は貧しかった。しかし空は青く、将来に向かって羽ばたけるという希望があった。今、空はどんよりと曇っている。この厚い暗雲を払ってもらいたい。その唯一の方法は他を思いやる気持ち、社会奉仕する気持ち、これらの積み重ねではないか」

 まさに戦後、若林がプロ野球に日本の明日をみていた姿に通じている。阪神だけではない。閉塞(へいそく)感漂う社会を案じる一方で、若林の精神に光を見る思いがする。    =敬称略=

     (編集委員)



 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 2011年1月に世に出た拙著『若林忠志が見た夢』(彩流社)は根来泰周コミッショナー(当時)の助言を得ての刊行だった。阪神ファンの私的な会合で知り合ったという若林遺族を紹介され、取材を進めた。紙面での連載の後、書籍化が成った。副題は編集者がつけてくれた『プロフェッショナルという思想』だった。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。

[ 2017年12月14日 09:30 ]

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