【決断】中日・八木 スカウト転身は夢への第一歩 理想は対話のできる指導者

[ 2017年12月3日 09:05 ]

7月30日の阪神戦で680日ぶりの勝利を挙げ、伊藤(右)からウイニングボールを受け取る八木
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 現役に未練がないと言えば、うそになる。10月3日に戦力外通告を受けた。中日・八木は国内外問わず、現役を続けるつもりだった。

 「まだやりたい気持ちはある。ケガをしていたら諦めがつくけど、今年も1軍で1つ勝っている。自分の中で“まだやれる”という中での選択だった」

 当初はトライアウトに向けて、練習を続行。ただ、球団から打診を受けた職員の選択肢も頭にあった。「嫁は“自分が悔いないように”と言ってくれたが、この世界で12年やってきて分かっている」。来年で35歳。現役を続けても長くて数年だろうと分かっていた。5人の子供を持つ父親でもあり「てんびんにかけたとき、安定した仕事を頂ける。気持ちを切り替えていこうと思った」とユニホームを脱ぐ決断を下した。

 栄光と挫折。両方を味わったプロ野球生活だった。日本ハムでは1年目に12勝を挙げ、日本一に貢献してパ・リーグ新人王に輝いた。だが、翌年以降は左肩痛など故障に苦しみ、12年オフにオリックスへトレード。移籍後は2年間で登板わずか6試合にとどまり、1勝もできずに14年オフに戦力外通告を受けた。

 それでもトライアウトを経て中日に入団すると、15年4月4日の広島戦でメジャーから日本球界に復帰した黒田に7回無失点で投げ勝ち、移籍後初勝利。この年に挙げた4勝は全て広島戦という「鯉キラー」ぶりで存在感を放った。今季も7月30日の阪神戦で6回無失点と好投し、チームの連敗を7で止める救世主に。「体は元気。できるだけやりたかった」という中で引退を決断したもう一つの理由が指導者だった。

 「プロに入った時から漠然と夢に持っていた。球団に残るとチャンスがあるし、勉強になる」。来年以降はスカウトとして、まずは選手の発掘に尽力する。「スカウトは指導者への一歩。プレーヤーだと中しか見えない。いろんな角度から見ることで選手ではない視点を持てる」。理想は対話のできる指導者。「する」から「見る」に変わっても野球への情熱は変わらない。 (徳原 麗奈)

 ◆八木 智哉(やぎ・ともや)1983年(昭58)11月7日、神奈川県生まれの34歳。日本航空では3年夏に甲子園出場。創価大を経て、05年大学・社会人ドラフトの希望入団枠で日本ハムに入団した。06年に12勝を挙げて新人王。13年1月にトレードでオリックスに移籍。14年オフに戦力外となり、15年から中日に移籍した。1メートル81、78キロ、左投げ左打ち。

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