【日本シリーズ回想】「ロッテより弱い…」藤田監督と務台名誉会長の“崖っ縁会談”

[ 2017年10月26日 09:00 ]

89年11月、日本一祝勝会で駒田(右から2人目)、篠塚(左端)らと鏡抜きをする務台読売新聞社名誉会長(左から3人目)と藤田監督(同4人目)
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 【あの秋〜日本シリーズ回想〜(3)】前年に開場した東京ドームが初めての日本シリーズの舞台となったこの年。監督復帰1年目の藤田元司は斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の3本柱を中心とする守りの野球でリーグ優勝を果たした。

 大方の予想は巨人有利だったが第1、2戦を斎藤、桑田で連敗。舞台を藤井寺から東京ドームに移した第3戦も近鉄先発・加藤哲郎にかわされ、まさかの3連敗。試合後、加藤の「シーズン中の方がよほどしんどかった」というコメントが「巨人はロッテより弱い」と伝わった。これに巨人ナインが怒った、と逸話化されているが、崖っ縁の舞台裏では知られざる動きがあった。

 第4戦前夜の10月24日午後9時頃、巨人が宿舎としていた東京・九段のホテルグランドパレスに読売新聞社名誉会長の務台光雄が現れた。読売グループの総帥で明治29年生まれ。卒寿を過ぎた93歳(当時)の長老を藤田は師と仰ぎ、強い信頼関係で結ばれていた。長嶋茂雄が解任された1980年秋、務台は秘密裏に藤田を親族の住まいに招き、監督就任を要請していた。

 「本当に香田で大丈夫なのか」

 翌日の先発を聞いた務台が首をかしげた。藤田は担当コーチを呼んだうえで「大丈夫です。スローカーブが効くはずです」と説得した。香田勲男は80キロ台の超スローカーブを持っていたが、シーズン中は多投しなかった。阪神のセシル・フィルダー対策の“隠し玉”だったからだ。「本当に自分でいいのか、と不安な夜だったことを覚えている」と香田は回想する。

 藤田の読みは当たった。超スローカーブを駆使した香田は三塁を踏ませず3安打完封。シリーズ初登板の完封は巨人史上、36年ぶりの快挙だった。息を吹き返した巨人は4連勝。第7戦でも勝利投手となった香田は優秀選手賞に輝いた。

 務台がシーズン中も時折、球団を通じて藤田に筆でしたためた巻紙を届けていたことはこっそり聞いていた。「御下問が来た。監督に取り次いでいいものなのか」とフロント幹部はそのたびに当惑していた。

 オフレコを前提に藤田から第4戦前夜の一部始終を聞いたのはシリーズ終了から間もない頃だった。「務台さん、巻紙では間に合わないから足を運ばれたのですね」。思わず返したのがマズかった。「そんな話をどこから聞いていたんだ!!」=敬称略=(宮内正英編集主幹)

 ◆1989年日本シリーズ 第1戦は4―3、第2戦は6―3で、近鉄が本拠・藤井寺で連勝。第3戦も先発・加藤哲が好投し近鉄が3―0で3連勝。後のない巨人は第4戦を5―0で完封勝ちすると、第5、6戦も制して3連勝。第7戦は巨人が駒田の先制ソロなどで近鉄先発・加藤哲を序盤でKO。8―5で4連勝を飾り、巨人が8年ぶり17度目の日本一に輝いた。

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2017年10月26日のニュース