【日本シリーズ回想】江夏の21球…伝説のスクイズ看破 あの駆け引きは「当然のこと」だった

[ 2017年10月25日 11:30 ]

9回1死満塁、石渡のスクイズを投球中に見破り、カーブをウエストさせた江夏
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 【あの秋〜日本シリーズ回想〜(2)】 40年近くが経過した今も多くの球界関係者、ファンの間で語り継がれるシリーズ史上最高の名場面がいわゆる「江夏の21球」だ。1979年11月4日、舞台は大阪球場。ともに初の日本一を目指す両チームの第7戦は4―3と広島1点リードで9回裏。7回途中から登板した守護神の江夏豊は、デーゲームなれど朝6時まで麻雀に興じていたため、睡眠は取っていなかった。

 先頭の羽田耕一に中前打を許すと守備のミスもあり無死満塁の大ピンチ。佐々木恭介を三振に仕留めて1死後、打席に石渡茂が入った。強攻策、エンドラン、スクイズ…。いくつかの策が考えられる中、江夏は「絶対にスクイズ。何球目に来るか」を見極める駆け引きに入った。

 敵将・西本幸雄の動きを読む。三塁コーチの仰木彬に視線を向けると、いつもならほほ笑み返す仰木が顔をそらせた。正対する一塁走者の平野光泰はニヤリと笑った。左腕の江夏は三塁走者が見えないが、スクイズなら同時にスタートを切る一塁走者の動きは視界に入る。平野のほほ笑みを「スクイズのサインが出ても自分は動かない」という暗黙の合図、と江夏は読んだ。

 一方で自軍ベンチとの葛藤もあった。若手の池谷公二郎、北別府学にベンチ横でのウオーミングアップを指示した指揮官・古葉竹識への不信感。「大阪球場にはベンチ裏にもブルペンがある。なぜ、俺の目に入るところでこれ見よがしに」

 1ストライクから運命の1球。投球動作に入った江夏は石渡のわずかな動きを看破したが、握りはカーブ。ウエストは直球がセオリーで、カーブだと大暴投になりかねないリスクをはらんでいた。江夏いわく「神業」の1球は大きな弧を描くと、石渡のバットは空を切った。三塁走者の藤瀬史朗は挟殺。石渡も三振に仕留めて江夏の21球は完結。日本一に輝いた。

 時空を超えて聞いてみた。

 あなたにとってあの21球は何だったのか――。

 やや間を置いて江夏は答えた。「自分がつくったとはいえ、ああいう難しい場面はそうそうあるものではない。いい経験をさせてもらった。もう一度投げても抑える自信はない」。淡々と振り返りながら、最後に語気を強めた。「最近の人は分からないかもしれないが、駆け引きは当然のこと。そうでなければ俺のような、へなちょこ球で抑えられるわけがない」――。=敬称略=(宮内正英編集主幹)

 ◆1979年日本シリーズ 第1戦は5―2、第2戦は4―0で、近鉄が本拠・大阪球場で連勝。地元に戻った広島は第3戦を3―2で制すと第4戦は5―3、第5戦も山根が1―0で完封と3連勝で王手をかけた。大阪に舞台を移した第6戦は近鉄が6―2で勝ち逆王手。第7戦は広島1点リードの7回途中から江夏が3番手で登板。9回無死満塁のピンチをしのいで、広島が球団創設初の日本一に輝いた。

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