甲子園、雨中の戦いの「潔き敗者」と「本当の勝者」

[ 2017年10月24日 09:00 ]

<セCSファーストS 神・D>イニング中に行われたグランド整備。左は阪神先発・秋山
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 【内田雅也の広角追球】いまも、耳に残っている。セ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージが決着した第3戦、17日夜の甲子園球場に「阪神園芸さ〜〜ん!」と声が響きわたった。左翼席上段に陣取った、ファイナルステージ進出を決めたDeNA応援席からだった。

 「今日は〜、本当に〜、ありがとうございました〜〜!」

 内外野に居残っていた阪神ファンからも拍手がわき上がった。

 雨の中、水浸しのグラウンドで強行開催されたあの15日の第2戦。試合中、何度も土や砂を入れ、奮闘する彼らの姿に多くの人びとが心を打たれた。ツイッターなどSNS上には賛辞の声があふれ、感謝と慰労の手紙やメールが相次いだ。

 翌16日は降雨中止。雨はなおも降り続き、17日昼すぎ、やっと止んだ。水たまりができ、でこぼこもあった。試合開催にこぎつけた苦労を誰もが分かっていた。

 「万全とまではいきませんが、十分な状態には仕上げました」と阪神園芸甲子園施設部長の金沢健児さん(50)は胸を張っていた。試合は予定通り行われた。

 ただ、阪神は敗れた。阪神園芸のグラウンドキーパーたちは口には出さずとも「また、タイガースに試合をやってもらえるように」と阪神の日本シリーズ進出を願っていたはずだ。「もちろん、公平の立場で整備していますが……」と金沢さんは悔しさをかみしめた。

 甲子園のグラウンドを管理する彼らが阪神の勝利を願うのは当たり前の感情である。これまでも阪神の要望にはできる限り尽くしてきた。

 俊足の赤星憲広(現スポニチ本紙評論家)がいた当時は一、二塁間の走路を硬くし、走りやすくした。ジェフ・ウィリアムスや藤川球児が望む硬いマウンド用に新しい土で固めた。能見篤史が軟らかめの土がいいと聞けば、着地点に応じて土の硬度を変えた。二塁手・遊撃手の守備範囲を広げようと、外野芝生部分を刈り込んだ。

 整備を終え、決戦となる第3戦の試合前、「他にできることがあれば、何でもやるんですが……」と漏らしたのは「阪神のために」という意味だろう。

 しかし、敗れた。敗戦後もいつも通り、本当にいつも試合後に行っている通り、淡々とグラウンドを整えていたのだ。つつましく、悔しさを押し殺して黙々とトンボをかけていた。

 あの15日の第2戦、本当に試合を開催するような天候ではなかった。雨は間断なく降り続き、1回表からマウンドに砂を入れた。泥田のようなグラウンドは決して野球ができるよう状態ではなかった。

 「いや、僕らにとっては特別大変なことでもなかったですよ。あそこまで水がたまれば、やれることは限られていましたから。それより高校野球や、阪神で言えば、あの試合の方が大変でした」

 金沢さんが言うのは4年前の夏、2013年8月31日の阪神―広島戦。降雨により2度、史上最長1時間27分の中断がありながら9回まで行った一戦である。よく覚えている。あの日、大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』で<グラウンド上でこの夜最も素晴らしい光景が展開されたのは試合中断の間だった>と彼らをたたえた。<試合後の整備も終え、引き揚げる彼らの顔に汗が浮かぶ。いい顔をしていた。真のヒーローだった>。金沢さんもあの原稿を覚えていた。

 金沢さんには「常に枕元に置いて、時折読み返しています」と言う本がある。文字通り「枕頭(ちんとう)の書」だ。1987年発行の藤本治一郎氏(1995年他界)の著書『甲子園球児一勝の“土”』(講談社)である。<球場は手で育てるもんや><甲子園の土には魂が入っている>といった下りを読み、自身に言い聞かせてきた。整備の技術はもちろん、精神が重要なのかもしれない。先人から「土と話せ」と教えられてきた。藤本氏から、直接の先輩だった辻啓之介さんと引き継がれ、いま、金沢さんが教えを守る。

 土は何と話していただろうか。泥んこになった第2戦を恨んでいるだろうか。いや、金沢さんが聞いた土の言葉に恨み言はなかったはずだ。

 あの15日、セ・リーグによる試合決行の判断は本当に正しかったのか。予備日が1日しかないという日程の問題もあるだろう。15日が中止またはノーゲームなら、16日も中止で阪神のファイナルステージ進出が決まっていた。

 しかし、阪神の選手、首脳陣も決して言い訳をしなかった。金本知憲監督は敗退の17日夜「結果がすべて。残念で悔しいですけど」と話した。翌18日に会った四藤慶一郎球団社長は「それはもう言っても仕方ないでしょう」と多くを話さなかった。

 18日朝のワイドショーでキャスターが「阪神はスポーツマンシップのある、素晴らしい球団だとあらためて思った」と語っていた。元慶大塾長、小泉信三氏(野球殿堂入り)の言葉に「果敢なる闘士たれ、そして潔き敗者たれ」とある。阪神は立派な敗者だったと言えるだろう。

 今も土は何も言わず、そして甲子園はいつでも再挑戦を待っている。そんな土を守る彼らに注がれた「ありがとう」の多くの感謝と称賛の声。この雨中の戦いでの本当の勝者が誰であったかを示している。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 少年野球の指導者となったころ、阪神園芸の金沢さんにグラウンド整備やライン引きの方法を教えてもらった。職人芸の一端に触れた気がした。1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。85年入社。大阪紙面で主に阪神を追うコラム『内田雅也の追球』は11年目のシーズンを終えた。

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