野球という仕事 中村奨吾が追い続けた井口資仁の背中

[ 2017年10月8日 10:30 ]

引退試合の9回に井口は中越えの同点2ランを放ちガッツポーズ
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 【君島圭介のスポーツと人間】追いかけても追いつけない。その背中が急に立ち止まった。ロッテの中村奨吾は大先輩である井口が現役を引退したときにそう感じた。

 「井口さんみたいな選手になるのが目標。大学のときからそれは言ってきた」

 早大2年で二塁にコンバートしたとき、「セカンドといえば誰だろう」と考えた。同じ右打者で俊足巧打の井口は、最高のお手本だった。その日からビデオを見て研究し、本を読みあさった。

 中村が歩んできたのは絵に描いたようなエリート街道だ。天理では1年夏から外野手でレギュラー。春夏合わせて3度甲子園に出場した。早大でも1年春のリーグ戦から出場し、3年時には日米大学野球の日本代表にも選ばれ、4年では早大の主将に就任した。

 その姿が伊東勤の眼に止まった。14年ドラフト会議でロッテが1位指名。1年目から111試合に出場した。ときに「ひいき」と揶揄(やゆ)されるほど重用されるが、同僚のある主力選手が「奨吾ならトリプルスリーも狙える。みんなそれくらい期待している」と漏らすほど、可能性を秘めた存在なのだ。

 昨オフには楽天に移籍した今江年晶が付けていた「背番号8」も継承。飛躍の3年目となるはずだったが、開幕から18打席無安打が続き、4月6日に1軍選手登録を抹消。5月3日に再登録されたが、同8日に再び2軍落ちを命じられた。

 「打撃そのものは変えていない。タイミングの取り方を変えた」。7月8日のオリックス戦(ほっと神戸)で1試合3安打した頃から数字を上げ始めた。出場試合数こそ3年で最少だが、打率は9月前半から2割7分をキープ。前半戦の不調がなければ3割も狙えた数字だ。本塁打数は2桁に届くところまできた。

 決して大きくはない体でパンチ力がある。そこが周囲の期待を煽るが、中村は「ホームラン打者ではない。打率にこだわりたい」と出塁率を意識する。「出塁すれば足を生かして攻撃に貢献できる」。20代の井口もまたダイエー時代に「トリプルスリーに最も近い男」と言われた。

 井口の代名詞は「右打ち」。体の近いところで打つ右打者の極意を体現する達人から「奨吾にも出来る」と言われたこともある。それでも「僕は質問するのが苦手だし、聞くのもおこがましい」と、自らアドバイスを求めたことはない。もうひとつ、理由があった。

 「井口さんは現役選手だったから」。そんな中村に最大のチャンスが訪れる。井口の来季ロッテ監督就任が決定的となった。追いかけてきた背中が突然に立ち止まり、こちらを振り向いた。正面から向き合えるようになった。

 中村が目指すのは成長に応じた数字を残すこと。足が使える今は出塁率に主眼を置く、そしていつかホームラン打者へと変貌するかもしれない。そう、井口資仁がそうであったように。(敬称略、専門委員)

 ◆君島 圭介(きみしま・けいすけ)1968年6月29日、福島県生まれ。東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉は高校の大先輩。学生時代からスポーツ紙で原稿運びのアルバイトを始め、スポーツ報道との関わりは四半世紀を超える。現在はプロ野球遊軍記者。サッカー、ボクシング、マリンスポーツなど広い取材経験が宝。

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