ロッテ井口“さよなら”本塁打 第1章終幕も…監督で第2章

[ 2017年9月25日 05:30 ]

パ・リーグ   ロッテ4―3日本ハム ( 2017年9月24日    ZOZOマリン )

<ロ・日>9回無死一塁、井口は中越えの同点2ランを放ちガッツポーズ
Photo By スポニチ

 ロッテの井口資仁内野手(42)が24日、本拠地の日本ハム戦で引退試合に臨んだ。「6番・DH」で出場し、9回に中堅右へ同点2ラン。日本一と世界一を経験した男は勝利にこだわり、4―3のサヨナラ勝ちを呼んだ。21年間の現役生活に幕を下ろしたが、球団からは次期監督の就任要請を受けており、新監督として強いマリーンズ復活へ第二の野球人生のスタートを切る。

 バックスクリーン右へと、伸びていった。代名詞である右中間への打球、井口が21年間、追随を許さなかった技術だ。一塁ベースを回って右拳を突き上げた。1―3の9回無死一塁。プロ野球人生のフィナーレで飛び出した同点弾。3万96人のファンは総立ちだ。地鳴りのような「井口コール」にヘルメットを掲げて応えた。

 「シーズン中はあの打球が失速していた。今日は自分の思い、ファンの思いが伝わってフェンスを越えてくれた。忘れかけていた感触でした。まだやれると思う半面、スッキリやめられます」

 1カ月間、この打球を追い求めてきた。元同僚の和田と対戦した8月27日のソフトバンク戦を最後に、若手に出場機会を譲るため1軍登録を外れた。残る出場は1試合でも、妥協はしない。それが日本とメジャーの舞台で頂点を極めた男の生きざまだった。自ら「キャンプ」と称し、午前7時半にはさいたま市内の2軍施設に現れた。「今年、納得いく打球は2%くらい」とバットを振った。11回の現役最後の打席は右飛に終わったが、2回の左前打を含めて2安打。延長12回のサヨナラ勝ちを呼んだ。

 97年5月3日、プロ初出場で史上初の満塁アーチを描き終わりもまた劇弾。「秋山幸二さんになりたい」と背中で引っ張る姿に憧れ、必死で追いかけたダイエー時代。メジャーでは世界一に輝く一方、トレードも戦力外も経験したが「メジャーでの4年間、毎日が記念日だった」。すべての経験を力に変え、21年先頭を走り続けてきた。

 9年間を過ごしたロッテは今季、最下位に低迷。井口には来季から監督として、チーム再建が託される。「いろいろな選択肢がある。いずれまた(ユニホームを)着たい気持ちはある。明日以降考えたい」としたが「この位置で終わるチームではない」と言う思いは誰よりも強い。

 最後は「背番号6」をつけた後輩たちの手で8度宙を舞った。委ねた体に、力を感じるように千葉の夜空に舞った。 (町田 利衣)

 ◆井口 資仁(いぐち・ただひと)1974年(昭49)12月4日、東京都生まれの42歳。国学院久我山から青学大に進み、東都大学リーグ記録の通算24本塁打。4年時の96年にアトランタ五輪に出場して銀メダル。同年にドラフト1位(逆指名)でダイエー(現ソフトバンク)入団。05年からはホワイトソックスなどメジャーでプレーし、09年にロッテで日本球界に復帰。1メートル78、91キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2017年9月25日のニュース