昨夏に一度は引退決意…中日・岩瀬 支えは「“辞めなくてよかった”という1年に」

[ 2017年8月5日 05:30 ]

セ・リーグ   中日6―5巨人 ( 2017年8月4日    東京ドーム )

<巨・中>プロ野球記録に並びポーズを決める岩瀬
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 中日・岩瀬仁紀投手(42)が4日の巨人戦(東京ドーム)で米田哲也が持つプロ野球最多登板記録949試合に並んだ。同点の9回2死一、二塁で登場。満塁から村田を右飛に打ち取り、直後の勝ち越しで今季3勝目が付いた。現役最年長、プロ19年目で到達した金字塔だった。

 幾多の修羅場をくぐり抜けてきた岩瀬らしい出番の訪れだった。抑えの田島が橋本到に被弾して1点差を追いつかれた9回裏。なお2死一、二塁の窮地を任された。阿部の右前打で満塁。村田にはカウント3―1の不利に立っても屈しない。1球でも外れれば押し出し四球、サヨナラ敗戦の崖っ縁。最後は内角136キロの直球で右飛に打ち取り、危機を切り抜けた。

 「大ピンチでしたけど、開き直って投げました。何とか勝てて良かったです。自分ではピンとこない。よくここまで投げられた。去年、一昨年と投げられてなかったので喜びもひとしおです」。節目の949試合目で会心の1死を奪い、直後の勝ち越しで白星もつかんだ。「運があるのかな」と照れた。

 昨夏に一度は引退を決意した。新人の99年から13年までプロ野球記録の15年連続で50試合に登板。40歳が近づいた14年夏に左肘が悲鳴をあげた。「今までの自分の肘の感覚じゃなくなった」。翌15年は初の未登板。鉄腕には屈辱だった。

 再起を誓った昨季も肘の違和感が消えず、900試合登板を達成した8月6日のDeNA戦では1死も取れず3失点。数日後に球団に引退を申し出たが、慰留された。「自分の中でもあのまま終わりたくない気持ちがなかったわけではない」。悩んだ末に現役続行を決めた。

 オフからの厳しいトレーニングで体重を90キロから一時期81キロまで落とした。「やるとなったら“辞めておけばよかった”と思いたくない。“辞めなくてよかった”という1年にしないと。どうせやるなら全部を捨ててでも新しいことをやろう」。投球フォームを見直し、曲がり幅の大きい宝刀スライダーを封印。打者の手元で変化するカットボールに近い新球を習得した。

 「自分の球さえ投げられたらやれる自信はあった」。6月は14試合で防御率0・00を残し、12年ぶりに月間MVPを獲得。42歳は不死鳥のごとく復活を果たした。目下リーグ4位に並ぶ今季45度目の登板で不滅と呼ばれた最多登板記録に並び、1000試合の大台も視界に捉えた。「記録よりまずはチームに必要とされることが一番大事」。勝利のために打者に立ち向かう。これが岩瀬という男の生き様である。 (徳原 麗奈)

 ◆岩瀬 仁紀(いわせ・ひとき)1974年(昭49)11月10日生まれ、愛知県出身の42歳。西尾東―愛知大―NTT東海を経て、98年ドラフト2位で中日入団。1年目から中継ぎで活躍し、3度の最優秀中継ぎ投手賞を受賞。04年からは抑えで、05年にプロ野球記録のシーズン46セーブなど最多セーブ5度。通算403セーブは日米通算記録を含む日本人投手最多。1メートル81、85キロ。左投げ左打ち。

 ≪メジャー記録は1252試合≫岩瀬(中)が4日の巨人戦(東京ドーム)に救援登板。通算949試合目の登板で、米田哲也に並ぶプロ野球最多登板を達成した。先発626試合を含む米田に対して、岩瀬は先発1度だけの救援専門。投球回こそ大幅に違えど、新人から15年連続50試合超の過密登板をこなし、米田より4年早い実働18年で追いついた。これで通算1000試合登板にはあと51。大リーグではジェシー・オロスコの1252試合を筆頭に16人が達成しており、日本球界初の大台到達の期待がかかる。

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