西武・辻監督「ボール持っていける」4日森コーチ告別式参列前に連敗脱出

[ 2017年7月4日 05:30 ]

パ・リーグ   西武11―4日本ハム ( 2017年7月3日    東京ドーム )

<日・西>7回 中村はソロを放ち、森コーチのユニホームが飾られたベンチの前でナインに迎えられる
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 西武が3日、日本ハムを11―4で下し、今季ワーストだった連敗を5で止めた。1点を追う3回に中村剛也内野手(33)が右中間に逆転の16号3ラン。7回にも中越えに17号ソロを放ち、試合を決めた。森慎二投手コーチが6月28日に多臓器不全のために42歳の若さで亡くなった。チームは連敗が続いていたが、森コーチの通夜が営まれた日に弔いの白星をささげた。

 鎮魂の、決意の「おかわり」だった。4番・中村のバットが重たい空気を振り払う。1点を追う3回に右中間へ逆転16号3ラン。7回にも中堅左への17号ソロで手を緩めない。代名詞の「おかわり」ことマルチ本塁打は通算36度目で、清原和博が持つ球団記録に王手をかけた。何より今季ワーストだった連敗を5で止めた。

 「負けて、明日を迎えるのは本当に嫌だったので。勝てて良かったです」

 お立ち台で全員の思いを代弁すると、敵地ながら球場全体が沸いた。6月28日、森投手コーチが多臓器不全で急死した。中村は一緒にプレーした数少ない選手の一人。突然の訃報に誰もがショックで言葉を失った。死去後の4試合は打線が打てずに負け続けた。1試合平均2得点で、最多でも3得点。主砲が呪縛を解き放つような働きを見せ、15安打11得点と全員が暴れた。

 「勝てたことが一番だと思う」と中村。最後の別れの時は迫っていた。プレーボールと同時刻に通夜が営まれた。きょう4日には告別式が行われ、選手も含め1軍スタッフ全員がナイター前に参列する。勝利の瞬間、多くのスタッフがベンチに掲げられた森コーチの背番号89のユニホームに触れ、松下建太サブマネジャーはウイニングボールを見せた。そのボールは辻監督へと手渡され、中村の2発目のホームランボールとともに、告別式で棺に入れられる。

 「明日我々が葬儀に出て、今日のボールを持っていけるのでね。非常に良かった」と辻監督。目は充血していた。連敗中に嘆いていた打線がつながり、みんながヒーローだとばかりに全員の名前を口にして褒め称えた。

 死去の直後には涙を流し「つらいです」とこぼした。誰も口にしない分、チームの雰囲気が重くなるのを指揮官として肌で感じていた。「一つ勝てば選手の気持ちも明日から変わってくる。ちょっとは気持ちが楽になってできる」。森コーチと最後の別れとなるが、シーズンは続く。貯金5の3位。上位2強を追い、最高の結果をもたらすことが、唯一できる手向けだ。 (後藤 茂樹)

 ≪清原の球団記録に王手≫中村(西)が3回には右中間、7回には中堅に本塁打。1試合複数本塁打は5月2日ソフトバンク戦以来通算36度目。うち、2本とも中堅より右方向にそろえたのは、12年6月3日DeNA戦の中堅2本に次ぎ自身2度目となった。なお、ゲーム2本塁打以上の最多記録は王貞治(巨)の95度、パ記録は門田博光(ダ)の59度で、これらには及ばないが、清原和博が持つ球団最多記録の37度にはあと1度に迫った。

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