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永射保さん死去 “左殺し”先駆者、あのヒット曲のモデルに

西武時代の永射氏(1979年)
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 西武などで左のワンポイントとして活躍した永射保氏が24日午前8時、福岡県久留米市の病院で肝臓がんのため死去した。63歳。

 インステップから角度を付けた左のサイドスローで、一人一殺の「左殺し」の先駆けだった。広岡達朗監督時代の西武で82、83年には日本シリーズ連覇に貢献。広岡氏は「彼を育ててつくったのは根本さん(陸夫。広岡氏の前監督)。本当によく働いてくれました」と回顧した。特に左の強打者、ロッテのレロン・リーはカモ。同僚だった田淵幸一氏(スポニチ本紙評論家)は「2人の対戦は、ほぼ凡退。最後にはリーが右打席に入り、それでセンター前に打たれたのを覚えている」と懐かしんだ。またプロ野球史上ただ一人、敬遠球を本塁打されたこともあった。

 引退後は少年野球の指導にあたり、福岡県小郡市内でスナックを経営。華麗な投球フォームと強烈な存在感は、ピンク・レディーのヒット曲「サウスポー」のモデルにもなり、スナックの店名も「サウスポー」とした。

 昨年末に体調を崩し入院。その後は在宅治療を続けながら、小郡リトルシニアでは今月上旬まで指導した。ただ17日に容体が悪化し再入院。4日前には自ら婚姻届を記し、事実婚状態だった累理子さんと結婚していた。個性派左腕は静かに世を去ったが、左殺しという球界に残した遺伝子は色濃く受け継がれている。

 ▼中日・森監督(西武でともにプレー)永射さんみたいな投手を育てようと、サイドスローにさせた選手もいる。お酒が嫌いじゃない方で体調が良くないと聞いていた。

 ◆永射 保(ながい・たもつ)1953年(昭28)10月3日、鹿児島県生まれ。指宿商から71年ドラフト3位で広島入団。74年に太平洋(現西武)に移籍し、山田久志を手本に横手投げに転向して頭角を現す。87年に大洋に移籍し、ダイエー時代の90年限りで引退。プロ19年間で通算606試合に登板し、44勝37敗21セーブ、防御率4・11。1メートル72。

[ 2017年6月25日 05:30 ]

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