井口 次々記録量産した青学大時代 記者泣かせの東都の星

[ 2017年6月21日 09:10 ]

ロッテ・井口 今季限りでの現役引退を表明 ( 2017年6月20日 )

青学大時代の1996年6月、大学選手権で優勝し、胴上げされる井口主将
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 【担当記者が明かす井口の素顔】青学大入学から3年間担当したが、次々とリーグ記録を更新するので記者泣かせだった。2年生の94年秋にシーズン最多の8本塁打をマーク。95年は年間最多の12発(春7、秋5)を量産した。そのたびに記録メモを確認するから大忙し。ただ地味な東都大学が1面候補になるので、張り合いはあった。

 3学年上の小久保が在学時、練習中の打球が民家の屋根を壊すからと横浜市港北区の綱島(当時)の同大グラウンドに「小久保ネット」を作ったが、井口はさらに飛距離が出るため「井口ネット」を新設。最終的に神宮新記録の24本塁打を放ったが「大きく扱ってくれますよね」と有言実行で打つんだから型破りな男だった。 (93〜95年アマ野球担当 伊藤幸男・北海道総局総局長)

 ☆青学大時代(93〜96年) 2年秋に打率・348、8本塁打、16打点で東都大学野球リーグ史上唯一の3冠王。シーズン8本塁打や3年時の年間12本塁打、通算24本塁打はリーグ記録。1、4年時に全日本大学選手権を制した。4年時の96年にはアトランタ五輪に出場。銀メダルを獲得した。

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2017年6月21日のニュース