どうしても守らなければならない核…荒木雅博を2000安打に導いたもの

[ 2017年6月13日 11:00 ]

記念ボードを手に笑顔の中日・荒木雅博内野手
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 【鈴木誠治の我田引用】中日の荒木雅博選手が、6月3日に2000安打を達成した。プロ22年目、2125試合でのスロー到達だった。2000安打のうち1675本が単打というから、文字通りコツコツと積み上げた記録となった。

 その荒木選手を見いだし、起用し続けたのが、落合博満元監督だ。俊足を生かした代走や守備要員だった荒木選手を二塁手で起用し、監督を務めた8年間で唯一人、毎年、規定打席に到達させるほどの信頼を置いた。まさに育ての親だった落合氏は、スポニチに寄せた手記で「守りで打った2000本」と、独特の表現で賛辞を贈った。



 どの道でもそうだろうけど、プロはフォームが最重要なんだ。フォームというのはね、今日まで自分が、これを守ってきたからこそメシが食えてきた、そのどうしても守らなければならない核のことだな。



 作家の色川武大氏が、エッセー集「うらおもて人生録」の中で書いている。守りの野球を掲げた落合氏は「守りで億という金を稼いだ男。守備はある程度、答えに近づける。荒木には、オレは答えを求めて守備をやるというのがあった」と手記に書いている。荒木選手が、大記録を達成できたのは、守備を「核」に置いてブレなかったからだろう。

 さて、色川氏は、フォームを崩さなかった例として、元巨人の王貞治氏を挙げている。1964年に広島の白石勝巳監督は、「王シフト」という極端な右寄りの守備陣形を敷いた。プルヒッターで右翼側の打球が極端に多かった王氏への対策だが、その作戦の真意は、王氏のフォームを崩させることだったという。がら空きの左翼側を狙って流し打ちをすれば、一本足打法のフォームが崩れる。修正には時間がかかる。しかし、その狙いは、王シフトをものともせずに、右翼側に打ち続けた王氏には、通用しなかったという。

 落合氏は手記の中で「打撃は答えがない。どんなに才能があっても、一度崩れたら元に戻らなくなるというのはある」と書く。「答えのないものを追わず、答えに近づけることを追いかけてレギュラーを張る方が賢い」と。この言葉は、あらためて打撃の答えを探し続けた王氏の偉大さを言い得ているが、逆の意味で荒木選手の凄さも浮かび上がる。

 2000安打は、好打者の勲章のように思えるが、守備の人である荒木選手の凄さは、約20年もの間、二塁(途中、遊撃もあった)の守備は、荒木でなければダメだと、複数の監督に思わせ続けてきたことだ。試合に出続けたことで到達した2000安打だった。

 ちなみに、荒木選手の2000安打のうち、本塁打33本は、史上最少だった。2000安打達成時の本塁打最多記録はもちろん王貞治氏で、614本である。

 ◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、浜松市生まれ。学生時代まで軟式野球をやっていたため、草野球にもよく誘われたが、老眼の進行で(言い訳)、もともとへたくそだった守備がザルになり、野球はあきらめた。

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2017年6月13日のニュース