石井義人氏、軟式野球指導者に よみがえった10年前の記憶

[ 2017年6月13日 10:00 ]

引退セレモニーで花束を手にする石井義人氏
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 今月7日、本紙で西武、巨人などで活躍した石井義人氏(38)が、山形県南陽市の軟式野球・公徳会佐藤病院の監督に就任したことが報じられた。同氏は昨季までBCリーグ武蔵で打撃コーチを務め、今季から同野球部の顧問に転身していた。

 その記事を目にして10年前の記憶が鮮明によみがえった。2007年2月。西武担当だった記者は宮崎の南郷キャンプを取材していた。石井氏も西武に在籍。当時はレギュラーではなかったが天性の打撃センスでミート力が高かった。キャンプ期間は休日もある。そこで当時のベテラン選手だった平尾博嗣氏(現球団職員)に「報道陣が草野球をするんですけど見学に来ませんか?」と打診すると「軽く体を動かせるし俺も入れてよ。適当に選手も何人か誘っておくから」と返ってきた。

 当日、選手を乗せたバスが球場に到着すると報道陣から驚きの声が上がる。平尾氏を先頭にして降りてきたのは中島(現オリックス)、片岡(現巨人)、中村ら主力級の面々。その中に石井氏もいた。まさかの「西武ライオンズVS担当記者」が実現。大敗覚悟でプレーボールとなったが選手らは次々とポップフライを打ち上げた。軟式と硬式。同じ球体でも打ち方は大きく異なる。硬式はボールの下を叩いてスピンをかけて飛ばすため、同じスイングで軟式を打つとつぶれて飛距離が出ないのだ。その中で唯一、全打席で簡単に大飛球を飛ばしていた選手がいた。それが石井氏だった。

 以前、石井氏は軟式と硬式について「打撃は根本的に変わる」と話し「叩きつぶすダウンスイングではなく、より水平に近いレベルスイングが求められる。もしかしたらアッパー気味の方がいいかもしれない」と分析していた。もともと「点」でなく「面」で打つようなスイング軌道だっただけに、当時の試合でも軟式球を苦にしなかった。

 ちなみに試合は報道陣チームの全18人が守備に就ける特別ルールにも助けられ、敗れはしたが接戦を演じることができた。一生の思い出とも言える夢のような時間をくれた当時の選手たちに、この場を借りて改めてお礼を言いたい。そして石井氏の指導者としてのさらなる飛躍を願っている。(記者コラム・山田忠範)

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2017年6月13日のニュース