「3割打者」とは何か? 糸井、史上25人目への挑戦

[ 2017年6月9日 09:00 ]

5月24日の巨人戦の9回1死、右飛に倒れて28打席連続無安打となった糸井
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 【内田雅也の広角追球】半月ほど前、大阪の編集局内で論議を呼んだ一件がある。阪神・糸井嘉男が5月24日の巨人戦(甲子園)で4打数無安打に終わり、連続無安打が自己ワーストの28打席にまで伸びた。

 この時点で今季の打率は・265まで下がり、生涯打率が・2999となったのだ。

 数字上は“3割を切った”ことになるのだが、本紙記録担当はまだ3割だと言う。小数第4位(毛の位)を四捨五入して・300となれば、3割打者と認められるというのだ。さらに6打数連続無安打ならば・2994となり、3割から滑り落ちるという見解だった。

 一般的な感覚とは異なるだろう。NPBの公式記録員に尋ねてみると、その通りらしい。

 「記録員の間でも時折論議になることがあります。数字上は3割未満でも四捨五入して3割ならば3割打者として認めています。これはもう、古くからの慣習としか言いようがありません」

 根拠となるのは公認野球規則10・21(率の決定)にある【注】だ。<率の算出にあたって割り切れない場合は、小数点以下4位まで求めて四捨五入する>とある。つまり打率は小数第3位までで表すと定められているわけだ。

 この“切り上げ”3割打者となったのが「ミスター・タイガース」藤村富美男である。現役最終年となる1958(昭和33)年は主に代打での起用が続き、打率1割台に沈んでいた。何しろ、56年限りで一度は現役を引退し、選手兼任から監督専任となって57年は1試合も出場していない。一選手として現役復帰して臨んだシーズンだった。

 当時マネジャーで、後に球団要職を歴任した奥井成一が<神経を使う仕事ができた。それは現役に戻った藤村さんの打率である>と、週刊ベースボール・マガジンの連載『わが40年の告白』で記している。

 前年までの生涯打率・3008。この年、26打数3安打となったところで、奥井は監督の「カイザー」田中義雄に進言した。

 「監督、藤村さんをこれ以上試合に出しますと、通算3割を切ってしまいます。気を使ってください」

 田中はすぐに承諾、以後打席に立つことはなかった。<通算・2999。四捨五入してちょうど3割の打率を残して、シーズン終了後に現役生活にピリオドを打った>。

 奥井は2008年に他界した。球団にいたころ「藤村さんが凡退する度にそろばんをはじいて計算したものだよ」と笑っていたのを覚えている。

 日本野球機構(NPB)発行のプロ野球公式記録集『オフィシャル・ベースボール・ガイド』にはライフタイム(4000打数以上)で打率3割以上は「24人」と明記され、しんがり24位に「・300」で藤村の名がある。

 生涯打率3割は最高のレロン・リー(・320)から若松勉(・31918)、張本勲(・31915)以下、プロ野球史上24人しかいない偉業である。糸井はいま、25人目に挑んでいるわけだ。阪神在籍者は藤村ただ1人である。

 過去には現役晩年に惜しくも3割を切った打者も多い。「記録の神様」宇佐美徹也の『プロ野球データブック』(講談社文庫)によると<榎本喜八は70年まで・301だったが、71年に・2994とわずかに落ち込み、翌年西鉄に移って3割復帰をかけた結果は・233、失意のまま引退を余儀なくされた>。

 加藤秀司も阪急時代は・307だったが、広島―近鉄―巨人―南海と渡り歩くうちに・297まで下げ、引退を迎えた。

 今季の糸井はその後、持ち直し、生涯打率3割を維持している。正確に表現すれば・2995を切らずにいる。

 現在35歳だが、昨年オフ、フリーエージェント(FA)でオリックスから獲得する際、阪神は4年契約を結んでいる。肉体はまだまだ若い、と踏んでいるわけだ。

 ここは、テッド・ウィリアムズ(レッドソックス)が大リーグ「最後の4割打者」に挑んだシーズンのようにいきたい。

 1953年、シーズン最終日を前に打率・3995、四捨五入で4割になっていた。監督ジョー・クローニンから最後のダブルヘッダーを休まないかと提案されたが<言下にこれを断った>と著書『テッド・ウィリアムズ自伝』(ベースボール・マガジン社)にある。

 「最後のゲームまで4割が打てなかったら、4割打者に値しないのですから、絶対に最後の2ゲームは出ます」

 2試合で8打数6安打を放ち、打率・407を記録したのだった。

 糸井には“切り上げ”ではない生涯3割であってほしい。その力はあるとみている。=敬称略= (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は「怪腕」。当時から体重は20数キロ増え、目下減量中。90キロを切るのが当面の目標。慶大卒。日々阪神を追う大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は11年目。

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