巨人、あの10連敗を止めたのは…思い出すエースの奮闘

[ 2017年6月6日 11:05 ]

2006年7月1日の阪神戦の6回2死三塁、二塁打で同点のホームを踏んだ巨人・上原を出迎える高橋由(左)とベンチの原監督ら
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 ピリピリとした取材現場の空気が、脳裏によみがえった。深夜の車中会談にアリアス緊急獲得…。巨人が喫した06年以来の10連敗。11年前は担当記者として、連敗の重い空気のまっただ中にいた。

 原政権下だった前回の10連敗。エースの快投をふいにしたのがスタートだった。6月18日、交流戦の楽天戦。先発の上原が8回3安打2失点(自責1)、自己最多タイの14奪三振も1―2で敗れた。その試合で阿部が投球を当てて「右手親指捻挫」で翌19日に出場選手登録抹消。右手親指の剥離骨折で離脱した小久保ら故障者が続発していたこともあり、連敗は止まらなかった。

 25日の中日戦は、助っ人の元メジャーリーガー・ディロンのプレーだ。4回2死二塁からの三ゴロをなぜか一塁送球せず、二塁走者・谷繁の挟殺プレーに持ち込んだ揚げ句、ボールを持たずに谷繁と交錯する守備妨害。そこから上原が3失点し敗れた。これが6連敗目。最大14あった貯金がマイナス1となり、3年ぶりの借金生活に入った。

 8連敗目を喫した28日は激動だった。横浜戦を前に当時、メキシカンリーグでプレーしていた元阪神のアリアスの緊急獲得を発表。さらに当時の滝鼻卓雄オーナーが敵地にもかかわらず横浜に、直接視察に訪れた。試合後、同オーナーの車が、原監督の車が出発するのを待ってほぼ同時に球場を出発。道中で同オーナーの車に原監督が乗り込み、異例の車中会談が行われた。数社が車を追うカーチェースも勃発。取材現場には張り詰めた緊張感が漂っていた。

 29日の同カードでは、阿部とともに、左肩の腱板損傷で離脱していた高橋由が1軍復帰も9連敗。プロ初登板初先発した高卒新人だった横浜・山口に5回2死まで走者を出せずに終わるなど、プロ初勝利を献上した。そして30日の阪神戦では初回にディロンの失策などもあり、先発の工藤が6回途中9安打7失点。0―11の大敗で、11連敗した75年以来31年ぶりに2桁連敗に到達した。

 その間の担当記者は球場で敗戦を見るか、渡辺恒雄球団会長(当時)を追って都内ホテルを巡る捜索の日々が続いた。しかも06年はこの10連敗の直前の6月6日から14日まで8連敗、さらに10連敗が止まった直後の7月4日から9連敗があった。最初の8連敗の最中、6月10日のロッテ戦では、サヨナラ負け直後のベンチでコーチと選手がののしり合いをすれば、11日の同戦では李スンヨプの右中間本塁打が、一塁走者の三塁踏み忘れで取り消しになるプレーもあった。振り返れば今年よりも、チーム状況は悪かった。

 連敗中は、編成や育成システムなど組織全体が批判の対象になる。もちろんどんなチームも問題点や課題はある。だが、目の前の試合に勝つためには、打者なら打席で粘り、投手なら失投を減らして、失点しても最少失点にとどめるなど、勝利への確率を増やすしかない。相手と直接、勝負をつけるのは監督以下ベンチ入りした面々しかできないのだ。

 さて06年の10連敗に話を戻そう。連敗を止めたのはエースであり、主力打者だ。7月1日の阪神戦で上原が7回2失点。そして攻撃は1点を追う6回2死三塁から二岡、李スンヨプ、高橋由のクリーンアップの3者連続二塁打で3点を奪って逆転勝ち。高橋由は29試合ぶりの先発復帰だった。その6回の攻撃。先頭の投手の上原が四球を選んでいた。「何とかして塁に出たのが伝わった」。そう言ったのは現監督だ。

 注目のきょう6日の西武戦。巨人はエース菅野が先発する。(記者コラム・春川 英樹)

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