グラブに「2011.3.11」…楢葉町出身オリ赤間 プロ初勝利

[ 2017年5月8日 05:35 ]

パ・リーグ   オリックス4―3日本ハム ( 2017年5月7日    京セラドーム )

赤間のグラブに刺しゅうされた「2011.3.11」の文字
Photo By スポニチ

 興奮を隠しきれない。延長12回。オリックス・赤間は駿太がサヨナラ打を放った瞬間、ガッツポーズした。駿太の元に駆け寄ると、ナインから歓喜のシャワーを浴びた。プロ2年目で待望の初勝利。お立ち台では「最高に気持ちいいです」と相好を崩して喜んだ。

 7番手として11回からマウンドへ。今季初登板で得点圏に走者を背負いながらも2イニングを無失点と踏ん張った。光ったのがチェンジアップで12回2死二塁では4番・中田を三ゴロに仕留めた。得意球は春季キャンプでキャッチボールの相手を務めたエース金子直伝だった。

 「金子さんから“中指と薬指で投げたら自然と変化するから”と。いいアドバイスをもらい、きっかけになりました」

 福島県楢葉町出身。グラブには「2011・3・11」と刺繍(ししゅう)している。東日本大震災で被災した実家は福島第1原発からほど近く半壊、その後解体された。当時、東海大でプレーしていた赤間は、避難指示が解除された15年9月以降まで戻ることは許されなかった。現在も父・雄二さんはいわき市の仮設住宅、母・貞子さんは千葉市内で避難生活を送る。「頭の中には、ずっと(震災のことが)ある。まずは結果を残せて良かったです」。楢葉町初のプロ野球選手として被災地に勇気を届けたい。そんな思いが詰まった17球だった。

 「(ウイニングボールは)サヨナラだったからどこかに行っちゃったみたいで…。でも試合で使ったボールをもらいました。両親に贈りたいです」。今季2度目のサヨナラ勝ちを呼ぶ快投で、チームの連敗を4で止めた。26歳は険しい復興の道を歩む楢葉町にも希望を与えた。 (湯澤 涼)

 ◆赤間 謙(あかま・けん)1990年(平2)11月14日、福島県楢葉町生まれの26歳。小1から野球を始め、相双中央シニアではエースとして活躍し、1歳下で浪江町出身の横山(楽天)とチームメート。東海大山形では甲子園出場なし。東海大を経て鷺宮製作所に入社し、15年ドラフト9位でオリックスに入団。1年目の昨季は24試合で0勝1敗、防御率3.09。1メートル80、80キロ。右投げ右打ち。

 ◆楢葉町(ならはまち) 福島県東部、太平洋に面した浜通り地方のほぼ中央に位置する。1956年に木戸村と竜田村が合併して誕生。面積は103・45平方キロメートル。人口7231人(5月1日現在)。東日本大震災では11人が津波で亡くなり、2人が行方不明。他に121人が震災関連で亡くなっている。松本幸英町長(56)。

続きを表示

この記事のフォト

2017年5月8日のニュース