敗戦と向き合う「感想戦」〜野球は記憶のスポーツ

[ 2017年5月2日 08:30 ]

野球は記憶のスポーツ、阪神・金本監督も相当な記憶力でペナントレースを戦っている
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 【内田雅也の広角追球】将棋の「感想戦」は対局後に戦いを振り返り、着手の善悪を検討する。明暗の分かれた、勝者と敗者が面と向かって感想を述べ合うという、ある種残酷な、そして究極の反省会である。

 敗者は自らが勝てた可能性を、勝者は自らが負けた可能性を追究するわけである。この感想戦が上達への道となる。勝つためには感想戦も含めて「こうしたら負ける」という経験が必要なのだ。

 今は3冠のプロ棋士、羽生善治が「負けたときには絶対に己に非がある」と語っている。JAL機内誌『スカイワード』2016年6月号の記事をとってある。「自分にどんなミスがあったのか、何度も検証します。自分の過ちと向き合っていくことでしか、次の勝利はつかめない」

 野球も同じである。野球の神様は「負けから学びなさい」と教える。

 将棋の感想戦を例に出し、現役時代、阪急・オリックスで通算284勝の山田久志が「将棋の世界といっしょ」と語っている。矢島裕紀彦著『山田久志 投げる』(小学館文庫)にある。

 「何も考えなくて、たまたまうまくいったというのは生きない。考えて、考えて、あれが良かったのか、あそこが悪かったんかなと思うから初めて生かされる」。つまり野球でも試合後の検討、感想戦が必要だと述べている。

 野球は記憶のスポーツなのだ。プロの一流はこの記憶が優れている。

 前中日監督・谷繁元信が90歳をこえても臨時投手コーチを務める杉下茂について「記憶力もすごいんですよ」と話していた。「何年何月何日まで言って、何回にカウント何―何で何を投げて……って、まるで昨日のことのように話しますもんね。あれはすごいです」

 恐らく谷繁も捕手として、打たれた、抑えた……といった記憶は相当なはずである。その記憶がデータとなって次の対戦に生かされるのだ。

 江夏豊は現役時代、登板後にスコアブックを持ち帰っていたのは有名な逸話である。その日の投球を一から再現し、次に備える。自分なりに作ったノートに写し、配球の跡を記録しておいた。記憶をより鮮明に刻んでおくためである。

 阪神担当キャップだった当時は、監督・中村勝広が試合前に相手チームの先発投手や陣容を予想した「仮想ゲーム」で展開を予想し、試合後に「再現ゲーム」で反省と検討を繰り返していたのを目の当たりにしていた。

 オリックスが「がんばろう! KOBE」で初優勝した1995年、打撃コーチだった新井宏昌が試合後、各打者の全配球を再現して見せたのには驚いた。新井は手ぶらで、こちらが手にするスコアブックで言えば、回ごとの縦ではなく、打者ごとの横にそらんじていたのだった。

 プロとは、一流とはそういうものである。

 だから、松井秀喜がプロ入り以来、全打席を記憶していたと聞いても、そういうものだろうと納得してしまう。

 もう十数年、阪神に同行して日々、大阪紙面でコラムを書いている。

 毎年2月、キャンプ地・沖縄で球団主催の番記者との懇親会がある。金本は今年、景品当てのクイズを出していた。「阪神移籍後、初安打を打った投手は?」「2500安打を打った球種は?」……といった問題を出して楽しんでいた。

 難問に番記者たちは悪戦苦闘していた。ヒントをもらっても正解にたどりつけなかった。ちなみに、先の2問の答えはドミンゴ(横浜=現DeNA)とスライダー(投手は中日・岩田慎司)だった。相当な記憶力の一端をかいま見た気がした。

 その力を今は監督として感想戦で発揮しているのだろう。 =敬称略=(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。85年入社から野球担当一筋。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は11年目を迎えた。

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