阪神ドラ5糸原 開幕1軍!恩師・野々村氏から魂のエール「1球懸命」

[ 2017年3月30日 05:38 ]

恩師・野々村氏からの色紙を手に笑顔の糸原
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 プロ野球のセ、パ両リーグは29日、今季開幕戦でベンチ入りが可能な出場選手登録名簿を公示した。阪神のドラフト5位・糸原健斗内野手(24=JX―ENEOS)は、球団の新人内野手としては04年の鳥谷以来13年ぶりの開幕1軍入りが決定。久々の快挙に、開星高(島根)時代の恩師で「山陰のピカソ」の異名を持つ野々村直通氏(65=野球部元監督)がお祝いとしてスポニチ本紙に似顔絵を寄贈するとともに、魂のエールを送った。

 糸原、開幕1軍おめでとう。社会人野球を経験してきたとはいえ、ドラフト1位、2位でもなく、5位だから、力を発揮しないと選ばれない。それでも1軍で開幕できる結果を出した。金本監督の言葉や周りの人たちの評価を見ていると、文句なしに、自分の実力でつかんだ1軍だな。

 「求道者」の精神を持っているのが糸原の強みだ。常に高みを求める。野球にかける思い、どん欲な姿勢は飛び抜けていた。今回の稀勢の里のようなものだ。あれだけ大きなケガをしても、横綱なんだから出る、戦うんだというプライド。大横綱と比較はできないけど、それに通ずる魂を感じた選手だ。糸原もおそらく稀勢の里を見て震えたんじゃないか。“俺も負けちゃいけんな”と思ったんじゃないかな。

 高校時代も妥協や慢心は一切なかったな。1年秋の中国大会では9打席連続安打を打って谷繁(中日元監督)の記録を塗り替えたんだ。でも、テングになることなんてなかった。高卒でも下位指名ならプロに行けたと思う。でも、甲子園に3回出て“全国ではまだまだ”と思ったんだろう。自分で明治大学への進学を決めた。この発想がすごいんだよ。高校生で「ドラフト候補」なんて言われると勘違いしてしまうものだ。それでも、もっと高いレベルを経験しないと通用しないと考えた。まさに「求道者」。何度も言うけど、「求道者」の精神を持っているんだ。

 糸原のプレースタイルを表現するなら「一に魂、最後も魂」だ。鉄砲肩だとか、陸上選手並みの足があるとか、そういうわけじゃない。小さい選手がプロで活躍するには、広島・菊池やソフトバンク・今宮のように、バネがあって、肩も強くて、足も速くないといけない。その点、糸原は走攻守で合格点ではあるけれど、トップレベルではない。でも、努力の積み重ねで培った物を持っている。すなわち「魂」だ。球際の強さ。勝負強さ。どん詰まりでも、バットが折れても、誰もいないところに落とす。技術以外の部分。それがなければ、糸原健斗という選手はできていない。そこを忘れずにやってほしい。そういう部分だけは、プロでも絶対に緩めちゃいかんということは伝えたい。

 似顔絵にも書いた「一球懸命」―。たった1球に命を懸ける。「常在戦場」―。生きていること、すなわち常に戦場。戦争を美化するわけじゃない。しかし野球は勝ち負けを争うんだから、グラウンドは戦場だと思って戦わないと。この言葉の本質を糸原は理解している。その気持ちを持って、頑張ってもらいたい。

 背が低くても、明治大学、JX―ENEOSと、アマチュア野球の名門で実力を認めさせた。そして、憧れのプロに入った。敬意を表するし、誇りに思う。本人も分かっていると思うが、ここからが本番。グラウンドでぶっ倒れても良い、ぐらいの気持ちでやってほしい。それでこそ糸原健斗だから。頑張れ。 (開星高野球部元監督)

 ◆糸原 健斗(いとはら・けんと)1992年(平4)11月11日生まれ、島根県出身の24歳。開星では1年秋からレギュラーで2年春、3年春夏に甲子園出場。明大では3年春に三塁手の定位置を獲得し、同年春と秋に2季連続でベストナイン。社会人のJX―ENEOSを経て16年ドラフト5位で阪神入り。1メートル75、80キロ。右投げ左打ち。

 ◆野々村 直通(ののむら・なおみち)1951年(昭26)12月14日生まれ、島根県出身の65歳。大東から広島大に進み、73年の全日本大学野球選手権に出場。卒業後は府中東(広島)に赴任し監督として79年選抜に出場。86年に松江一(94年に開星へ改称)へ赴任し、88年の野球部創部と同時に監督就任。開星では甲子園に春夏10度出場。12年3月に同校を定年退職後は教育評論家、画家として活動中。

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