あの日から6年……高田高主将と復興関わる父、それぞれの土台造り

[ 2017年3月12日 08:20 ]

犠牲者に黙祷を捧げる高田ナイン
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 東日本大震災から6年がたち、岩手県陸前高田市では「新しい街づくり」が本格化する。壊滅を余儀なくされた市街地ではかさ上げ工事が進み、来月27日には大型商業施設「アバッセ」が開業。災害公営住宅の建設も着々と行われ、街の形がようやく整い始めた。高田高校野球部の村上諒平(りょうへい)主将(3年)の父・勤さん(41)は同市広田町で工務店を営み、震災直後から復興事業に従事。息子の成長を糧に街の土台造りに励んできた。新たな転換期を迎える故郷で、父の願いと息子の思いが交錯する。

 諒平の高校進学を機に、息子を学校まで迎えに行くことが勤さんの日課となった。「新校舎になったらスクールバスがなくなることは分かってたしね」。市街地のかさ上げは進み、昼間は大型トラックが土煙を上げて行き交う。歩道整備は不完全で、徒歩や自転車では危険も多い。夜は街灯が少なく、街は暗闇に包まれる。我が子の無事を思えば、往復30分の運転も苦ではない。

 陸前高田市では約26ヘクタールの高台造成工事が急ピッチで進む。商業・図書館複合施設「アバッセ」の建設は終盤を迎え、来月27日に開業予定。その他に、滑り台などの児童用大型遊具を備えた「まちなか広場」も8月の完成を目指す。人々がゆっくり滞在できる空間をつくること。同市が掲げた目標は、6年を経て転換期を迎える。

 その市街地から約7キロほど離れた広田町に、村上親子は暮らす。海に面した半島は、カキやホタテ、わかめの養殖で全国的にも有名な土地。釣りが趣味の勤さんが持ち帰るアイナメは、諒平にとって最高のごちそうだった。「でも父さん、最近は忙しいみたいで、釣りには行かなくなった」

 30歳で「西條工務」の社長を任された勤さんは建築、土木、水道工事などを担い、地域住民の生活を支えた。そして35歳で震災を経験。「作業場は海沿いだったから、重機は全て(津波に)持っていかれちゃった。最初は仕事のことは頭から消えたよ」。生きるのが精いっぱいの状況。自宅や家族、従業員は無事だったが、電気やガス、水道は途絶えた。救援物資のパンで命をつないだ。

 それでも街中を埋め尽くすがれきの山を見過ごすことはできなかった。「従業員を集めて“再開しようと思う”って。決心はついてたから、相談じゃなく通告みたいな感じでね」。誰一人、難色は示さなかった。作業道具は少しずつ購入した。家屋補修の依頼があれば快く引き受けた。中心市街地のかさ上げ事業にも関わり、現在は従業員25人。必死に生き、気づけば6年が過ぎた。

 見通しが明るいかと言えばうそになる。「市街地は出来上がっていくけど高台での生活はある程度は落ち着いた。うちみたいなところは、そういう人が頼りな部分もあるから」。街の発展は家業の今後にも影響する。1年後に高校卒業を控える諒平の将来も、気にならないわけではない。「でも言わない。息子の人生と俺の人生は別だから」。ずっと我慢を強いられてきた息子を思う親心だった。

 震災時小学5年だった諒平は、避難所でテレビ局の取材を受けた。「野球がしたいです」。息子が、全国へ訴えたいことを問われて発した言葉。幼い少年の純粋な願いが、勤さんの原動力となった。新年度を控えた諒平は言う。「今は、高校野球をやりきることが目標。でも卒業後は一度、ここを離れたい。そうしないと分からないことがたくさんある気がするんです」

 親子はまた、車に並んで家路を急ぐ。思春期の息子と父親との会話は、なかなか弾まない。けれど、口にしなくても分かる。「うちの会社は、定年を70歳にしてるんです。それなら俺は、まだ30年は現役。まだまだ、まだまだですよ」。小さくまとまるな。先のことを考えすぎず、たくさん失敗すればいい。それがきっと、息子の糧になると勤さんは信じている。 (金子 しのぶ)

 ≪紅白戦中断し黙とう≫陸前高田市ではこの日、午後2時46分に合わせてサイレンが鳴り響くと、住民に加えて復興作業員らも手を休めて犠牲者に黙とう。約1分間、街は静寂に包まれた。同市コミュニティーセンターの駐車場では特設テントを設置。遺族のみ参加可能の追悼式典も営まれ、会場近くには献花台も設置された。また、高田高校野球部は大船渡市の仮校舎グラウンドで練習を行い、同時刻は紅白戦を中断して全員で黙とう。村上主将は「6年たって、不自由な部分がまだ残っている。自分たちの頑張りで、地元の人に元気を与えたい気持ちがまた強くなりました」と話した。

 ▼復興へのプレーボール〜陸前高田市・高田高校野球部の1年 東日本大震災で甚大な被害を受けた同校硬式野球部の姿を通して、被災地の「現在」を伝える連載企画。2011年5月11日に第1回がスタート。12年3月まで月に1回、3日連続で掲載。その後も不定期で継続しており、今回が55回目となった。

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2017年3月12日のニュース