青木、転機となったプロ1年目の決断 “学生時代”捨ててブレーク

[ 2017年3月6日 11:30 ]

打撃練習で鋭い打球を放つ青木
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 侍ジャパンの中で唯一のメジャーリーガーとしてWBCに参戦する青木を取材していたのは、ヤクルトを担当していた07年だった。入団2年目の05年にはイチロー以来、史上2人目となるシーズン200安打を達成。すでに球界を代表する一流打者となっていた。

 早大の同期には、阪神に入団した鳥谷がいた。大学時代は俊足好打の2番打者で、プロ1年目は2軍で首位打者に輝いたものの、1軍ではわずか10試合出場に終わった。そんな青木に「なぜ、2年目にブレークしたのか?」を聞いたことがある。その答えは意外だった。「大学でやってきた打撃を捨てた」と教えてくれた。

 3年目の06年に41盗塁をマークし、タイトルを獲得したように、大学時代は足を生かす打撃に取り組んでいたという。もっと具体的にいえば、左打席から逆方向に叩きつけるスイングだ。東京六大学リーグでも首位打者を獲得しているし、その成果はあったのだろう。

 しかし、青木はプロ1年目で学生時代のスタイルではプロで通用しないと判断し、打撃改造に着手した。「(投手が投げる)ボールの軌道にバットを入れるように、レベルスイングより少しアッパー気味にするようにした」。そんな内容を話してくれた。

 青木の打撃練習は見ていておもしろかった。1メートル75。決して体は大きくないが、フリー打撃ではスタンドへ、面白いように放り込んでいた。07年には20本塁打をマークしている。ただのアベレージヒッターではなかった。

 同時に練習ではボールをぎりぎりまで引きつけて、三塁ベンチへ飛び込むようなファウルもわざと打っていた。最近では日本ハム・中島の「カット打ち」が注目を集めたが、青木は初球からフルスイングし、カウントが悪くなるとファウルで粘りながら甘い球を仕留めることができる打者だった。

 2日の練習から侍ジャパンに合流したメジャーリーガーは、自分より若い選手たちに、「青さん」「ノリさん」と気軽に呼びかけるように伝えたという。担当記者として取材して当時も、すでにスター選手だったが、青木は誰に対しても気さくだった。そんな社交的で壁をつくらない性格は、今も変わっていない。だから、どんなときも応援している。(記者コラム・横市 勇)

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2017年3月6日のニュース