野球寺“創建”と「底辺」の誇り

[ 2017年2月28日 09:00 ]

89番野球寺の完成イメージ図
Photo By 提供写真

 【小池聡の今日も手探り】野球による町おこしを展開している徳島県阿南市で3月19日に、野球のお寺の落成式が行われる。四国八十八カ所にちなんだモニュメント「89番野球寺」だ。

 「89」が「やきゅう」と読めることから、市などで構成される「野球のまち推進協議会」が計画。中心メンバーの1人は全日本早起き野球協会事務局長の田上重之さん(64)で、野球が3大会ぶりに復活する2020年東京五輪も見据え、「草野球の聖地にして、野球人気の再興につながれば」と寺の“創建”へ意気込む。2月5日に行われた協会の定期総会では寄付を呼び掛けた。

 モニュメントが設置されるのは、同市那賀川町にある道の駅「公方の郷なかがわ」。御影石製の2体で、それぞれバッター(高さ2・2メートル)とグローブ(同1・6メートル)をイメージ。“バッター”上部にはボールを表現した球体が載せられている。2体の前にはホームベース型で「必勝」と彫られた石碑が置かれ、背景に設けられたアルミ製の看板(高さ2・2メートル、幅7・3メートル)には球場のスタンドで応援する観客らが描かれている。さらに、同市出身で元巨人投手の水野雄仁、條辺剛両氏らの手形も展示。費用は約470万円。「野球寺必勝タオル」などのグッズも販売される。

 古くから競技が盛んで幅広い世代に浸透している阿南市は2010年4月、産業部に「野球のまち推進課」を新設。球場のほか、対戦相手、審判、アナウンスなども用意する「野球観光ツアー」を展開し、歓迎会では阿波おどりも披露している。

 「健康と親睦」を合言葉に、文字通り仕事前の早朝5時台、6時台などにプレーボールとなる早起き野球も盛んな地域。「野球のまち推進監」の肩書も持つ田上さんは「子供たちの世界ではサッカー人気が高まっているらしいですけど、中高年世代ではまだまだ野球人気の方が高いと思う」とし、「草野球の聖地」の具体的将来像について「阿南市での大会や合宿などに参加する選手らが必勝祈願を行うようなスポットになれば」と期待を込めた。

 全日本協会会長を務める宮入昭夫さん(72)も、野球寺に胸を躍らせている一人。早起き野球が盛んになっていったのは高度経済成長期のころ。「当時、ゴルフのプレー代は高くて庶民にとっては高根の花。大人たちの遊びと言えば軟式の野球でした」と振り返った上で、「でも、高校野球OBらが参加する“本気モード”のものは、本格的に取り組んだことのない者にとっては敷居が高い。早起き野球は気軽に楽しめるものでした」とその存在意義を強調した。口癖は「私たちは野球界の底辺」。この国の野球人気を支えてきたという誇りが感じられる。

 全日本協会が結成されたのは1981年6月。30年目を迎えたころには、約8000チーム、約15万人が集うまでに発展した。しかし、娯楽の多様化が進むなどしプレーヤーは減少傾向にあり、苦労している地方組織も。宮入さんも頭を悩ませている。

 そうした中、協会は昨年11月、第1回全日本生涯還暦野球大会を阿南市で開催。高齢化が進む中、野球世代と言われる人たちにプレーを楽しむ機会を提供したいという使命感から企画された。

 宮入さんは全国に先駆けて規約を作り組織化した長野市協会の会長も兼務。市協会の発足は1964年。すでに早起き野球に携わっていた。「東京五輪の年でねえ、初めてテレビを買いました。世界の若人が集まって、それは素晴らしい大会でした」。当時の興奮は今でも鮮明に覚えている。

 そして、2020年は全日本協会結成40年目の節目。「五輪で野球が復活するし、その年の早起きの全日本大会は特別なものにしたい。今からワクワクしています」。

 草野球にかかわって半世紀以上。ますます意気軒高で、「底辺」の誇りを胸に野球界を盛り上げていく。(編集委員)

 ※問い合わせ 阿南市野球のまち推進課 0884(22)1297

 ◆小池 聡(こいけ・さとる)1965年、東京都生まれ。89年、スポニチ入社。文化社会部所属。趣味は釣り。10数年前にデスク業務に就いた際、日帰り釣行が厳しくなった渓流でのフライフィッシングから海のルアー釣りに転向。基本は岸からターゲットを狙う「陸(おか)っぱり」。

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