09年は最年少 侍・内川 合宿初日から一人特守のワケ

[ 2017年2月24日 09:00 ]

居残り特守を行う内川
Photo By スポニチ

 4年前に自ら止めた時計の針を動かそうと、侍ジャパン・内川は初日から行動に出た。全体練習終了後、一人だけ行った特守。観客の視線を独占し、一塁で仁志内野守備走塁コーチの打球を受け続けた。「世間的に言えば、運動会でコケるお父さんの世代ですよ!」。8月に35歳になる男は、自らを鼓舞するように叫んでいた。

 30分後、背番号1のユニホームは汗と泥にまみれた。菊池は「元気やなぁ」と息をのみ、小林と大野も見学した。最後に万雷の拍手を受けると休む間もなく、木の花ドームに向かった。今度は特打だ。バスには坂本勇、筒香、山田らも誘われるように乗り込んでいく。結局、野手14人中12人が室内練習場に集まり、無数の打球音がこだました。

 理由がある。「(初日の特守は)一発目からやってやろうと思っていました。自分は09年は(野手)最年少でした。(練習をどう)やっていいのか、分からなかった。言葉では難しいですね」。3大会連続出場だが、最初は戸惑いの連続だった。侍ジャパンではDHまたは代打の切り札と期待されるが、チームに戻れば一塁手。合流前の青木を除けば、野手最年長の34歳は行動で進む道を示した。

 「(合宿はWBCへの)大切な期間ですが、その後143試合のペナントレースがある。それを見据えた準備の二段構えで。(選手には)裏方さん、コーチ、スタッフを使ってくださいと話しました」と小久保監督。内川の動きは、その言葉ともシンクロしている。

 悔しさを抱えたままの4年だった。前回13年のWBC準決勝・プエルトリコ戦で一塁走者としての重盗失敗が、3連覇を逃した敗因と言われた。当時、人目をはばからず、号泣した男は「緊張と不安だらけ。(WBCが)終わった時、悔いがないようにしたい」と雪辱を誓った。 (福浦 健太郎)

続きを表示

この記事のフォト

2017年2月24日のニュース