新井 侍Jとして背負った“覚悟” 忘れられない韓国選手の涙

[ 2017年2月14日 09:30 ]

歴代侍の金言=広島・新井貴浩

08年北京五輪で日本代表の4番を任された新井
Photo By スポニチ

 敗戦ベンチから見た今も忘れられないシーンがある。08年8月22日、北京五輪での準決勝・韓国戦。2―6の9回、代打・阿部の飛球を捕球した右翼手・李容圭(イヨンギュ)は、その場にうずくまって動かなかった。広島・新井にはホロ苦い思い出だ。

 「勝ったら普通は皆で集まって喜ぶ。それなのに、泣いていたのか動かない。“ヨッシャ、日本に勝った”という感情だけは伝わってきました」

 星野ジャパンとして臨んだ盛夏の戦い。日本はメダルなしの4位に終わり、4番・新井のバットも振るわなかった。35打数9安打、1本塁打、7打点、打率・257。腰痛が一因だったが、帰国後の再検査では驚きの診断を告げられる。

 「5月あたりからおかしかった。最初の検査で見つからず、おかしいと思いながら痛みを我慢してプレーしていた」

 第5腰椎の亀裂骨折だった。阪神にFA移籍して1年目。侍ジャパンでも、星野監督の期待する声が耳に入っていた。激痛があっても離脱は許されない。日の丸を背負う北京は「野球ができなくなっても仕方がない。それぐらいの覚悟を決めて行った」舞台だった。

 出場機会は少なかったが、世界一に輝いた06年の第1回WBCも経験。日本中の注目を浴び、緊張して硬くなりやすいだけに「打席でのアプローチは超積極的に」と声を大にして言う。

 「初対戦の投手ばかりなので、見て探っている時間なんてない。初球からバットを振って(タイミングを)合わさないと、すぐに終わるし、やられる。打席では、自分から攻めていく気持ちが大事だと思いますね」

 広島から選出された菊池、田中、鈴木ら侍ジャパンの野手陣に、新井は世界一の期待を込めてそうエールを送った。 (江尾 卓也)

続きを表示

2017年2月14日のニュース