オリックス「青濤館」四半世紀の歴史に幕 受け継がれる“イチローイズム”

[ 2017年2月7日 09:00 ]

青濤館で汗を流すイチロー(2005年1月20日撮影)
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 四半世紀もの間、オリックスの若手選手を育て、支えた神戸市内の合宿所「青濤館」がいよいよ幕を下ろす。3月から2軍施設は大阪市の舞洲地区に移転。チーム本隊は宮崎市内での春季キャンプの真っ最中。故障者がキャンプ地から戻り青濤館で調整する可能性は残るが、スーパースターを生んだ選手寮が今後フル稼働することはなく、事実上のラストを迎えた。

 今後の活用方法については現状は未定。関係者によると、近畿圏内を中心とした大学・社会人などの野球やソフトボールチームなどから使用に関する打診が複数あるという。既に話は流れたが、サッカーJリーグの某チームも興味を示していたこともあったとされる。

 91年に完成。当時の「ブルーウエーブ」のチーム名にちなんで、「青い波がうねる」との意味から名付けられた。マーリンズのイチローが、新人時代から7年間を過ごし、深夜に何時間も打撃練習に励んだことは有名だ。今でも406号室は「イチロー部屋」として保存されている。プロ5年目まで寮で生活した駿太は、「オフに自主トレ中のイチローさんと練習したことは、懐かしくて大事な思い出の一つです」と感慨深げに振り返る。

 「寂しい思いはありますよ。ボクも深夜に打撃練習してましたね。イチローさんみたく何時間もっていう訳じゃないですけどね。試合の悔しさで真夜中の3時くらいにパッと起きた時に、バットを持って室内練習場でマシン打撃をしてました」

 静まり返った室内練習場で、一人黙々とバットを振り続けた。「真っ暗な中で一人でやってましたね。その後、また真っ暗な中で一人でお風呂に入って。部屋に戻る時、暗い通路を歩いていると、ボクと同じような気持ちの人がいたのか、誰か別の人がボールを打つ音が聞こえてくるんですよ。そういう音とかは、すごく思い出しますね」。

 新拠点となる舞洲に完成した新室内練習場は、チーム最年長の小谷野ら選手側からの要望で24時間練習OKとなった。これまで、本拠地の京セラドームと青濤館は約40キロと離れていたため、京セラでのナイター終了後に神戸に戻って練習する選手は少なかった。同球場内にマシン打撃のケージが2カ所しかないなど練習が制限されていた。

 新施設の室内練習場は約60メートル四方のスペースで、京セラドームからは約10キロ、車で15分ほどと近く訪れることが容易となる。駿太は「本当にありがたいですよ。ボクは一人で打ちたいタイプだし、京セラではなかなか練習できなかったですから。京セラでのナイター終わりに、絶対に行きますよ」。拠点は変わっても、チームに根付く“イチローイズム”は受け継がれていくはずだ。(記者コラム・湯澤 涼)

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