野球殿堂入りした星野仙一と平松政次−−岡山県が生んだ2人の巨人キラー(5)

[ 2017年1月24日 08:00 ]

巨人戦で完投勝利を挙げ、ほえる現役時代の星野氏
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 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】平松政次さんは1967年(昭42)の都市対抗が閉幕して2日後、交渉期限ぎりぎりの8月10日に大洋(現DeNA)と契約。巨人戦初登板は9月6日の川崎球場だった。

 3回まで無失点でしのぎながら4回に王貞治さんに右越えソロ、田中久寿男さんに左越え3ランを浴びて降板。同28日の後楽園球場では4安打完封でリベンジするが、「巨人キラー」と呼ばれるようになるまでには少し時間がかかる。

 1年目3勝、2年目5勝と伸び悩み、カミソリシュートを武器にするようになった3年目に14勝と飛躍。4年目の70年に25勝19敗、防御率1・95と大ブレークする。最多勝、沢村賞に輝いたこの年がキラー元年となる。

 不滅のV9時代の真っただ中、V6を達成した巨人からシーズン7勝。うち4勝が完封だった。5月から8月にかけて33イニング連続無失点。中日の杉下茂さんが持つ35イニングの巨人戦連続無失点記録に迫った。

 この記録は長嶋茂雄さんの一発で阻止されるのだが、71年から72年にかけてそのミスターを25打席連続無安打に封じた。その頃だ。平松さんはある対戦で投球動作に入った瞬間、長嶋さんがパッと手を離してグリップを下げ、バットを短く持っているのに気づいた。後年、本人から「巨人の4番が最初からバットを短く持つわけにはいかない。でも、長く持ったらあのシュートは打てない。だから…」と打ち明けられたという。

 69年に中日入りした星野仙一さんはプロ2試合目の登板となった5月5日の広島戦(福井)に先発し、6回1/3を5安打1失点に抑えてプロ初勝利を挙げる。

 巨人戦初勝利は6月13日の後楽園球場。8回、2−2の同点にされた直後に登板し、続くピンチを切り抜けると、9回1死一、二塁で打順が回ってきた。代打もある場面だったが、ルーキー投手をそのまま打席に送った水原茂監督の采配に応え、城之内邦雄さんの投球に食らいついて右前に落とす勝ち越しタイムリー。さらに高木守道さんが3ラン、中利夫さんもソロで続いてこの回一挙5点が入り、その裏は3人で片付けた。

 1年目の巨人戦勝利はこれだけで、2年目も2勝。「キラー」と呼ばれるようになるのは平松さんに遅れること1年、71年あたりからだ。この年の8月から73年7月にかけて巨人戦10連勝をマーク。先発勝利は1試合だけで、ロングリリーフで勝ち星を重ねていった。その後もYGのユニホームに闘志をむき出しにし、晩年の81年にも4年ぶり優勝を飾ったライバルから5勝を挙げた。

 巨人戦通算成績は平松さんが51勝47敗2セーブ。通算201勝の4分の1強を憧れの球団から奪った。51勝は国鉄(現ヤクルト)時代の金田正一さんの65勝(72敗)に次ぐ2位の巨人戦勝利数だ。星野さんは6位にあたる35勝を挙げて31敗8セーブ。巨人から30勝以上を挙げて勝ち越したのは平松さん、星野さんの他には33勝31敗の川口和久さんしかいない。

 岡山勢のくくりで言うと倉敷商で星野さんの1年後輩、平松さんと同学年だったヤクルトの松岡弘さんが8位の34勝(46敗)をマーク。3人合わせて巨人から120勝したことになる。

 ちなみに2人とも長嶋さんは抑え、王さんにはよく打たれた。平松さんは長嶋さんを181打数35安打、8本塁打、打率・193と封じながら王さんには235打数87安打、25本塁打、・370と打ち込まれた。星野さんも長嶋さんは111打数26安打7本塁打、・234で、王さんに195打数62安打、24本塁打、・316とやられた。

 平松さんが王さんに対するホームラン配給王なら星野さんは2位。「世界の王」に真っ向勝負を挑んだ結果だった。(特別編集委員=つづく)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。早大卒。物心ついたときから野球好き。小学4年生の65年春、センバツで優勝した岡山東商のパレードを自転車で追いかけた。

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