【球団トップに聞く】阪神・高野本部長 中村氏の精神を胸に「言い訳はしない」

[ 2017年1月23日 11:30 ]

球団トップに聞く!阪神・高野栄一球団本部長(下)

「阪神フロント」の確立が使命だと語る高野球団本部長
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 座右の銘を尋ねると、阪神の高野球団本部長は「そんな大層なものは、ありません」と笑った。代わりに肝に銘じていることがある。それは「言い訳をしない姿勢」だ。

 「中村さんは“批判は甘んじて受ける”ということをよくおっしゃっていた。あとはよく“こういう業界で生き抜いていくのは男のロマンだ”とも。少々のことでは言い訳をしない、批判を受けて立つ、というね。私なんかには到底、中村さんのまねはできないので、せめて言い訳くらいはやめておこうかなと」

 91年からフロントマンの道へ。多くの時間を中村勝広氏と過ごした。監督時代は監督付広報として支え、GM在任時も球団本部長としてもり立てた。一昨年9月に66歳で急逝した先人は最も身近で接した現場のトップであり、フロントのトップでもあった。その精神を胸に宿し、チームづくりに励む日々だ。

 熱狂的なファンが多い阪神。勝った時は祭り上げられるが、負けようものなら…。「広報を10年間やらせてもらって最下位が6回。監督が矢面に立って叩かれるのを間近で見て、勝負事は勝たないとアカンと痛感しました」。暗黒時代と言われた低迷期には、敗戦後に選手バスがファンにヘコまされるなど「厳しさ」を肌で感じ取った。勝たなアカン――が根付いた。

 プロ経験はないが、アマ球界では名の通った捕手だった。関学大2年春に関西学生野球リーグのベストナインを受賞。当時、立命大1年に古田敦也(元ヤクルト)も在籍した関西最高峰のリーグで実力を示した。社会人野球へ進む道も模索したが、在阪希望があり阪神電鉄に入社。「タイガースの幹部候補生として採用した」という当時の三好一彦球団社長の期待に応え、現場とフロント双方の思いをくみながら、球団運営の一翼を担う。

 そんな高野本部長がチーム強化とともに掲げる使命は「阪神フロント」の確立。「今まで自分がやってきたことや現在、取り組んでいることを一緒に今後の阪神を担う人たちに伝えたい。下手を打つこともあるし、格好悪いこともあるけど、それをさらけ出して、全て伝えるように努めています」。泥くさく、粘り強く、土壌づくりに励む覚悟だ。 (惟任 貴信)

 ◆高野 栄一(たかの・えいいち)1963年(昭38)7月19日生まれ、大阪府堺市出身の53歳。泉陽高、関学大では硬式野球部に所属。87年に阪神電鉄に入社し、90年12月25日付で阪神タイガース入社。広報部主任を皮切りに、管理部ファームディレクター、管理部長、球団副本部長兼管理部長兼育成部長などの要職を歴任。12年から現職。

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