鈴木美嶺氏 プロ、アマ公認野球規則の一本化に尽力

[ 2017年1月17日 05:30 ]

野球殿堂入り

熊崎勝彦野球殿堂博物館理事長(右)から表彰される、鈴木美嶺氏の所属した東京大学野球部OB会一誠会の橘谷健会長
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 特別表彰の故鈴木美嶺氏は1955年にプロ、アマ合同の規則委員会が発足した際、プロ、アマで別々だった公認野球規則の一本化に携わった。東京帝大(現東大)へ進学したが戦局が悪化し、1943年4月に文部省が東京六大学リーグの解散を通達。後に「東京大学野球部史」で「野球のない野球部という妙な野球部に籍を置いていた」と回顧している。卒業後は毎日新聞で記者をしながら、東京六大学の審判員や公式記録員を務めた。

 野球のルールを明瞭に説明した多くの著書でも普及に尽力した。元アマチュア野球規則委員長の麻生紘二氏は「雲の上の存在です。(鈴木)美嶺さんは、規則の鬼、ルールブックのような人だった」と故人を懐かしんだ。東大野球部OB会長の橘谷健氏は「本人も喜んでいると思う」と話した。

 ◆鈴木 美嶺(すずき・みれい)1921年(大10)9月3日生まれ、兵庫県出身。旧制八高、東京帝大(現東大)卒。東京六大学野球審判員、同連盟規則委員、同公式記録員を歴任。55年に日本野球規則委員会編纂委員就任、「公認野球規則」の誕生から制作に長く携わる。毎日新聞の記者も務めた。91年10月11日死去、享年70。

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2017年1月17日のニュース