星野氏、平松氏、伊東氏が殿堂入り

[ 2017年1月16日 17:00 ]

展示パネルの前でポーズを決める殿堂入りした伊東勤氏(左手前)、星野仙一氏(同奥)、平松政次氏
Photo By スポニチ

 野球殿堂入りを決める野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、競技者表彰のプレーヤー表彰に西武の黄金時代を正捕手として支えた伊東勤氏(54=ロッテ監督)を選出。エキスパート表彰は中日、阪神、楽天の3球団で監督を務め、13年には楽天を初の日本一に導いた星野仙一氏(69=楽天球団副会長)、カミソリシュートを武器に大洋で通算201勝を挙げた平松政次氏(69)が選ばれた。

 特別表彰はアマ野球の審判員で、延長18回引き分け再試合となった64年夏の甲子園決勝の松山商―三沢戦で球審を務めた故郷司裕氏、「公認野球規則」制作の中心的役割を果たした故鈴木美嶺氏がそれぞれ選出された。野球殿堂入りは計197人。

◇星野 仙一(ほしの・せんいち)1947年1月22日生まれ、岡山県倉敷市出身の69歳。明治大から1968年ドラフト1位で中日に入団。プロ6年目の74年に沢村賞、最多セーブ賞を受賞する活躍で中日の20年ぶり優勝に貢献。中日が3度目の優勝を果たした82年を最後に現役を引退した。86年に中日監督へ就任し、2年目の87年にセ・リーグ優勝を果たし、91年限りで退任。95年に再び中日監督へ就任すると、5年目の99年にリーグ優勝。2001年限りで中日監督を退任すると、翌02年から阪神監督に就任し、2年目の03年にリーグ優勝を果たした。その後、日本代表監督として08年北京五輪に出場し、11年から楽天監督に。13年には球団初のリーグ優勝、日本シリーズ優勝を達成した。14年を最後に監督を退任し、シニアアドバイザーを経て現在は取締役副会長を務めている。

 ◇平松 政次(ひらまつ・まさじ)1947年9月19日生まれ、岡山県高梁市出身の69歳。日本石油(現JX―ENEOS)に在籍していた1966年に大洋(現DeNA)からドラフト2位指名を受け、翌67年の都市対抗後に入団。「カミソリシュート」の異名を取った鋭いシュートを武器にエースとして活躍し、84年限りで現役を引退するまで通算201勝を挙げた。70年と71年に最多勝投手に輝き、70年には沢村賞、79年には最優秀防御率のタイトルも獲得している。

 ◇伊東 勤(いとう・つとむ)1962年8月29日生まれ、熊本県熊本市出身の54歳。1981年ドラフト1位で西武へ入団し、チーム黄金期の正捕手として14度のリーグ優勝と8度の日本一を経験。ベストナイン10回、ゴールデングラブ賞は11回受賞している。2003年限りで現役を引退し、翌04年から西武監督に就任。同年レギュラーシーズンでは2位に終わったが、プレーオフを勝ち進んで優勝を果たし、日本シリーズも制して日本一に輝いた。西武で4年間指揮を執った後、13年からロッテ監督を務めている。

続きを表示

この記事のフォト

2017年1月16日のニュース