困難を糧にしてきた駒大・大倉新監督、楽しみな東都1部昇格への戦い

[ 2017年1月15日 09:30 ]

駒大の大倉新監督
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 昨年9月の第7回女子野球W杯で、監督として侍ジャパン女子代表を5連覇に導いた大倉孝一氏(54)が、2月1日付で東都大学リーグの駒大の監督に就任する。「これが自分の最後の仕事になるかもしれない」と15年秋に2部に転落した母校の再建に意気込む指揮官の手腕に注目している。

 駒大卒業後は日本鋼管福山(現JFE西日本)で捕手としてプレーし、都市対抗で準優勝も経験。現役引退後は同社で5年間コーチを務めていたが、「なぜこういう打ち方、投げ方になるのか裏付けとしての知識が欲しかった」と動作分析などの専門知識を身につけるために37歳で退職。村上整体専門医学院、日本メディカルスポーツトレーナー学院で治療とトレーニング論を学ぶため、家族を説得して一家4人で上京した。

 00年から午前中に母校・駒大で臨時コーチを務めながら、午後は専門学校に通う日々が2年間続いた。この間はほぼ無収入。「2年間は勉強に費やして貯金は全部使い切るつもりだった。これが後々自分に還ってくるとも考えていなかった」。住宅購入に備えて貯めていた貯金はほぼなくなった。それでも「若者の育成に携わりたかった」と話す指揮官はあっけらかんとした表情だった。

 女子野球に携わったのは01年から。駒大OBで元日本ハムの広瀬哲朗氏が当時女子日本代表監督を務めていたのがきっかけだった。日本代表のコーチを経て06年に監督に昇格したが、1年目に味わった挫折が常勝軍団に生まれ変わるきっかけとなった。06年の第2回W杯(台湾)。決勝で2大会続けて米国代表に敗れて2連覇を許し、「こいつらを勝たせてやれなかった。俺は指導する立場にない」との思いが募った。

 これが変革のきっかけとなった。これまでは自身の野球経験から「お前らはこうしろ」と一方通行だったが、「女子選手はすぐに泣くし、すぐにへこむ。今までのアプローチが通用しない」と考え方を一新。「何に行き詰まっていて、何が苦しいかを聞いてやらなきゃいけない」と対話路線にシフトチェンジした。その後は08年の第3回大会(松山)から昨年9月までW杯5連覇。勝因は指揮官と選手が築いてきた強い信頼関係だった。

 1部昇格を懸けた春季リーグ戦開幕まで準備期間は就任から約2カ月。「毎年、勝ち続けるためにはバッテリー中心の点をやらない野球をやりたい」と意気込むが、1月からは合宿所横の道路拡張工事が始まるため、練習にも制限が出てくる。人工芝グラウンドと寮の完成は3年後。就任してすぐに待ち受ける困難にも「困ったことがあったら後々の自分のネタになると受け取った方がいいですよ」と報道陣にも困難への立ち向かい方を指南してくれた。「かなりの忠臣蔵ファン」という指揮官。戦国・東都の厳しい戦いにどう挑むのか楽しみだ。(記者コラム・東尾 洋樹)

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2017年1月15日のニュース