広島・赤松 胃がん公表 来月手術半分以上摘出も必ず戻る!

[ 2016年12月29日 05:30 ]

広島の赤松
Photo By スポニチ

 広島・赤松真人外野手(34)が28日、広島市内の球団事務所で緊急記者会見を開いて、「胃がん」であることを明らかにした。今月15日の健康診断で異常が発覚。初期段階ながら、来年1月上旬に広島市内の病院で手術を受ける。今季は「足のスペシャリスト」としてチームの25年ぶりリーグ優勝に貢献。来季の契約更改も済ませている。現役続行へ強い意欲も示しており、球団も完全復活をサポートしていく。

 急きょ用意された会見。スーツ姿でテーブルに着いた赤松は不思議なほど穏やかな表情を浮かべていた。「胃の方にがんが見つかりました。生存率からすれば生きられるとは思う。生き死にの不安はないが、野球を続けられる体になるのかという不安の方が大きい」と切り出した。

 突然の告白に会場は静まり返った。自覚症状はなかった。15日に広島市内の医療機関で個人的に健康診断に臨み、初めての胃カメラ検査で異常が発覚した。翌16日に広島市内の病院で再検査をした結果、初期段階の胃がんであることを医師から宣告された。1月上旬に腹腔(ふくくう)鏡手術を行う予定だ。

 「(がんは)できたばかりではないということでした。良くても半分は(胃を)取ります。普通で2/3、開けてダメだったら全摘出です。“40歳まで胃カメラをのんでいなかったら死んでいた”と医者から言われました」

 手術内容によって復帰時期は決まるが、春季キャンプの参加は絶望的。「帰ってきたときに痩せているといろんなことを言われる。先に言った方が楽」と公表に踏み切った。家族には「気を使わせている」と言うが、「こういうときしか気を使ってもらえないので、うまく利用してます」と努めて明るく振る舞った。

 足と守備のスペシャリストだ。今季は89試合に出場し、代走で48回起用され、12盗塁をマーク。打席数は少なかったが打率・368。6月14日の西武戦(マツダ)では史上初となる「サヨナラ・コリジョン安打」も放ち、25年ぶりの優勝に貢献した。守備では10年に外野フェンスを駆け上がって本塁打になる打球を捕球し、「スパイダーマンキャッチ」と呼ばれた。

 球界では当時ソフトバンク監督だった王貞治球団会長が06年に胃がんで胃の全摘出手術を行ったが、翌07年に現場復帰を果たした。赤松も戦列復帰に向けて強い意志を示した。「前例があるか分からないけど、僕が前例になれるようにしたい」。会見に同席した石井雅也ヘッドトレーナーも「彼がグラウンドに立てるように全力でサポートしたい」と激励した。ファンも待っている。背番号38が再び駆け回る姿を――。 (柳澤 元紀)

 ▽胃がん 胃の壁の最も内側にある粘膜内の細胞が、がん細胞となって増殖を繰り返すことで生じる。主な症状は胃の痛みや不快感、胸焼け、吐き気、食欲不振などだが、早い段階で自覚症状が出ることは少ない。日本では肺がんに次いで2番目に多いがんとされ、粘膜から粘膜下層までを「早期胃がん」、固有筋層の深さまで達したものを「進行胃がん」という。

 ▼広島・緒方監督 軽々しい言葉はかけられない。彼にはただ、治すことに全力を傾けてほしい。彼は決して見せないが、周りが心配する以上に恐怖、不安があると思う。焦らずに、体を第一に考えてほしい。

 ▼広島・鈴木清明球団本部長 ショックだったけど、考えようによっては早く見つかって良かった。球団としてはできる限り支えていくつもり。またマツダ(スタジアム)で走っている姿を見たい。

 ◆赤松 真人(あかまつ・まさと)1982年(昭57)9月6日、京都市生まれの34歳。平安では2年春の甲子園に投手兼外野手として出場し8強。立命大を経て04年ドラフト6巡目で阪神に入団。08年1月にFA移籍した新井の人的補償で広島へ移籍。俊足、好守の外野手として10年にゴールデングラブ賞。中学時代は軟式野球部で歌手・倖田來未とチームメート、大学時代は倉木麻衣と同級生だった。1メートル82、75キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2016年12月29日のニュース