【決断】ロッテ香月良「絶対に辞めさせない」と怒ってくれた師匠への恩返し

[ 2016年12月16日 08:30 ]

決断2016ユニホームを脱いだ男たち=ロッテ・香月良仁投手(32)

ロッテの香月良
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 10月1日、ロッテから戦力外通告を受けた香月良は、古巣である熊本の社会人野球・鮮ど市場ゴールデンラークスの田中敏弘監督に電話をかけた。

 「その日のうちに電話で(戦力外を)報告した。師匠だと思っているので」

 今季は11試合で防御率8・44。他球団からのオファーを待ちながら練習を続けた。10月20日のドラフト会議から1週間で編成の方針が固まると考え、同27日をタイムリミットに設定したが、声は掛からなかった。同日に熊本へ向かった。

 10月29日、熊本のスーパー「鮮ど市場」のオフィスで田中監督と会った。プロ人生、将来のことなど語り尽くし、気がつくと2時間半が過ぎた。恩師に「俺の頭の中には、おまえが帰ってきて投げている姿が見える」と言われた。心の中にあった古巣復帰への思いが強くなった。

 出会いは第一経大(現日本経大)4年時。監督にスカウトされ、1期生として入団した。スーパーで午前7時から7時間近くコロッケを揚げ、夕方から練習するハードな日々。「野球を続けられると思わなかったけど、監督に“絶対にプロに行ける”と言われ、先入観を持たずにできると思えばできるということを教わった」。本気でプロを目指し始めた。

 しかし、06年11月20日に父が死去。「母親一人になったし、肘も壊れていたから」。監督室のドアを叩き「野球を辞めます」と頭を下げた。だが、恩師は「絶対に辞めさせない。お父さんが望んでいることは野球を続けることだ」と声を荒らげた。右肘の手術を受けて復活すると07、08年に都市対抗に出場し、同チーム初のプロ野球選手となった。「辞めなくて良かった。監督がいたからプロになれたし、ラークスでやっていなかったら、プロの8年間もない」と言い切る。

 戦力外になってから、家族の生活を考えて野球以外の道も頭に浮かんだが、最後は「師匠が言うなら恩返しをしたい」と、11月下旬に選手兼任コーチとしての入団を決断。「まだまだ投げられる。都市対抗に出たい」と再び闘志に火が付いている。 (渡辺 剛太)

 ?香月 良仁(かつき・りょうじ)1984年(昭59)1月22日、福岡県生まれの32歳。柳川2年時にセンバツに出場。第一経大から熊本ゴールデンラークス(現鮮ど市場ゴールデンラークス)入り。06年に右肘じん帯を断裂したが、復活し08年ドラフト6位でロッテ入り。昨季、自己最多の40試合に登板。1メートル80、82キロ。右投げ右打ち。

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