【決断】広島・倉 最後の“ご褒美”は黒田とのバッテリー

[ 2016年12月15日 09:05 ]

決断2016」ユニホームを脱いだ男たち=広島・倉義和捕手(41)

引退試合で9年ぶりにバッテリーを組んだ黒田(奥)と抱き合う倉
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 25年ぶりのリーグ優勝が、広島・倉に現役引退する時を告げた。9月10日。胴上げをテレビの前で迎え、チームの一員としての喜びと同時に、「自分はもう必要な戦力ではない」という思いが胸に去来した。

 「去年から引退を意識していたけど、優勝の輪の中にいられなかったことで、やめなきゃいけないと思った」

 広島一筋19年間。現役選手生活に区切りをつけた瞬間だった。40歳を超えてまで現役を続けることができた要因の一つに、同じく今季限りで現役を退いた1学年上の黒田の存在があった。

 「黒田さんがいなかったらこんな長い間、現役をできなかった」

 1軍に定着した05年にエースから信頼を得て、専属捕手を務めた。07年オフ、黒田がFAでドジャースに移籍してからも、その活躍を喜びながら、広島で帰りを待ちわびていた。

 「向こう(米国)に行っても、また広島に帰って来るはず。また、試合で受けたいという思いがあった。そのためには頑張らないといけないという気持ちにさせられた」

 強い思いで待ち続け、15年にエースが念願の広島復帰。だが、同年は会沢の1軍定着もあり、コンビを組むことはかなわなかった。さらに今季は2軍バッテリーコーチ兼任となったこともあり、選手としても2軍生活に終始した。

 それでも最後にご褒美が待っていた。引退試合となった9月25日、本拠地でのヤクルト戦。打者1人限定で先発マスクをかぶり、黒田と9年ぶりにバッテリーを組むことになった。結果はストレートの四球となったが、久々の感触をかみしめた。その後、試合は降雨ノーゲームとなり、引退試合は記録に残らないが、それは大きな問題ではなかった。

 「最後に黒田さんの球を受けさせてもらったことが記憶に残るから」−−。

 来季からはコーチ専任となる。「これまでは自分のことを考えるのと、他の選手のことを考えるのとで半々だった。これからは選手のことだけを考えればいい」。次代を担う捕手の育成に尽力する覚悟だ。 (柳澤 元紀)

 ◆倉 義和(くら・よしかず)1975年(昭50)7月27日、京都府生まれの41歳。京都成章から京産大を経て、97年のドラフト5位で広島入団。8年目の05年には自己最多の109試合に出場。この年から07年まで黒田の専属捕手を務めた。16年は2軍バッテリーコーチを兼任。1メートル79、90キロ。右投げ右打ち。

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