【決断番外編】Honda・多幡 野球も仕事も「できる男」に

[ 2016年12月12日 11:00 ]

決断2016ユニホームを脱いだ男たち=Honda・多幡雄一内野手(34)

昨年7月22日、都市対抗の三菱重工名古屋戦での多幡。都市対抗は24試合で打率・315を記録
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 今季限りでユニホームを脱ぐ選手は、プロ球界ばかりではない。社会人野球のHonda・多幡雄一内野手(34)も現役引退を決めた一人だ。チームだけでなく日本代表としても、アマチュア球界をけん引してきた男の下した決断とは――。

 3日間、悩んだ。Hondaで12年間プレーした多幡は72時間、葛藤し続けた。「まだ現役でできると思う日もあった。でも、自分が納得する打撃ができなくなって、続けていいのかという思いもあって…」。野球に打ち込める環境を整えてくれた小百合夫人(34)に、ユニホームを脱ぐことを告げた。

 10月末に長谷川寿監督から「来年はどうする?」と声をかけられた。チームは今季、都市対抗、日本選手権の社会人野球2大大会の出場を逃した。自身は日本通運の補強選手として都市対抗には出場したが、05年の入社以来、初めて都市対抗予選で敗退しただけに「中心選手として、けじめをつけなければいけない」という思いが、決断の決め手になった。

 立大時代には東京六大学野球リーグで3度のベストナインを獲得した右の強打者。プロ入りを目指してHondaに進んだが、ドラフトで自分の名前が呼ばれることはなかった。「プロにはなれなかったが、チームに必要とされる選手でいようと思った」。09年には長野(現巨人)、昨年限りで引退したミスター社会人・西郷(現コーチ)とともにクリーンアップを組み、2本塁打を放って都市対抗優勝に貢献した。チームの主将を経て、昨年からは選手兼任コーチ。12年から3年間は日本代表の主将も務めた。常にチームの中心にいた。

 血液型はA型。繊細な性格だが、グラウンドに出れば堂々と振る舞った。「プロでタイトルを獲っている選手は、B型とO型が多かった。だから、自分もBやOに見られる選手でいようと」。打席に入る際にバットでベースをドンと叩くしぐさは、社会人球界でマネをする選手が増えた。

 12月からは社業に専念している。「野球だけできても、誰も評価してくれない。仕事を一生懸命やって、認めてもらえるようになりたい」。指導者として再びユニホームを着るために、「仕事もできる男」になる。 (川島 毅洋)

 ◆多幡 雄一(たばた・ゆういち)1982年(昭57)7月20日、石川県生まれの34歳。有磯小3年から野球を始め、涛南中までは捕手。星稜2年時に内野手転向。3年夏は県大会準決勝で小松工に敗れた。立大では、外野手として1年秋から3季連続でベストナインを受賞。Hondaでは09年に都市対抗優勝。ベストナイン3度獲得。1メートル72、78キロ。右投げ右打ち。

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