【決断】中日・岩田「ピカイチ」人柄象徴 周囲の後押しで幸福な引退試合

[ 2016年12月11日 11:00 ]

決断2016ユニホームを脱いだ男たち=中日・岩田慎司投手(29)

9月24日の引退試合で現役最後の登板を終えた岩田(中央)は藤井(左)、堂上に声を掛けられる
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 心に迷いはなかった。「覚悟はできていました」。中日・岩田は9月中旬、球団から来季構想外を伝えられると、その場で現役引退の答えを出した。度重なる右肩痛に苦しんだが、「治れば、(投球が)良くなると思って、ここ数年やっていた」と言う。今季、肩の状態は良好だった。それでも1軍で登板できず、ユニホームを脱ぐことを決めた。

 明大から08年にドラフト5位で中日入団。4年目の12年には先発ローテーション入りし、5勝を挙げた。脚光を浴びたのは中学時代から投げていた武器「無回転フォーク」。ナックルボールのようにほとんど回転がなく、揺れながら落ちる。予測できない変化をするため「実戦向きじゃない」と笑うが、他の誰にも投げられない魔球だ。13年にはテレビ朝日系列「マツコ&有吉の怒り新党」で取り上げられたこともあった。だが右肩をかばったフォームの影響もあり、ここ数年は思うように操れなくなっていた。

 人柄の良さ。森監督は「真面目で野球以外でも若い連中をまとめる姿勢を見てきた」と振り返り、吉見は「性格がピカイチ」と言う。そんな生え抜き右腕に引退試合が用意されたが、謙虚な男は球団からの打診を一度は断った。「悩みました。僕なんかが…。迷惑がかかる」。それでも周囲の後押しもあり、最終的には打診を受けた。9月24日、ナゴヤドームでの阪神戦には、あすな夫人や知人、2軍の選手やスタッフも集まった。吉見の後を受け、7回2死一塁から投手のメッセンジャーを相手に登板。「追い込んでから使うつもりだった」と言う「無回転フォーク」は披露できなかったが、スライダーで遊ゴロに仕留めて歓声を浴びた。「本当にファンの人たちの温かさを感じました。(引退試合を)やってもらってよかった」

 岐阜県出身。慎司少年は同じ「しんじ」という名前から当時エースだった今中慎二に憧れ、熱烈な中日ファンになった。引退後は編成担当となり、宮崎フェニックスリーグや甲子園でトライアウトを視察した。「やりがいを感じます。地元ですし、子供の頃から好きな球団。ドラゴンズが強くなるよう、自分の仕事を全うしたい」。竜のナイスガイは穏やかな表情で決意を新たにした。 (細川 真里)

 ◆岩田 慎司(いわた・しんじ)1987年(昭62)1月27日、岐阜県生まれの29歳。東邦では2、3年時にセンバツ出場。明大を経て、08年にドラフト5位で中日に入団した。2年目の10年7月19日横浜戦でプロ初先発し、7回1死まで無安打の快投でプロ初勝利。12年は自己最多の20試合に登板し、先発ローテーションの一角を担った。1メートル81、80キロ。右投げ左打ち。

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