ヤマハ初制覇 巨人ドラ4池田駿「置き土産」VでMVP

[ 2016年11月9日 05:30 ]

スポニチ後援第42回社会人野球日本選手権最終日・決勝 ( 2016年11月8日    京セラドーム )

<ヤマハ・日本通運>MVPに輝き、ナインに胴上げされるヤマハ・池田駿

 決勝が行われ、ヤマハが日本通運を3―2で下し、23度目の出場で初優勝を果たした。巨人にドラフト4位で指名された先発の池田駿投手(23)が134球を投げ、7回2/3を8安打1失点。毎回の10三振を奪う力投で最高殊勲選手賞に輝いた。都市対抗で3度の優勝を誇る名門が日本楽器として出場した1985年以来、3度目の決勝でついに頂点に立った。

 日本一の瞬間、池田駿はベンチを飛び出した。自身を救援し、リードを死守した先輩の九谷と抱き合い、涙をこぼした。

 「九谷さんにはお世話になったから…。大学(専大)で1部へ上がった時も泣いたけど、今日ほどうれしいことはなかった。本当に日本一になれたんだなって」

 最速148キロを誇る左腕。今大会前には左手人さし指の爪が割れ、登板が危ぶまれたが、1回戦から投げた。132球で8回0/3を2失点に抑えたJR西日本との準々決勝から中1日のマウンド。「ヤマハでは最後の試合。絶対に勝ちたかった。(腕が)折れても壊れてもいいという気持ちでいった」。8安打を許しても毎回の10三振を奪い、1失点。最速142キロを計測した直球にスライダー、チェンジアップを織り交ぜ、日本通運に的を絞らせなかった。ヤマハに在籍して2年目。その集大成にふさわしい134球の熱投だった。

 10月20日のドラフト会議で巨人から4位で指名された。「人生が変わった日」と喜びをかみしめ、こう続けた。「高校、大学の時はプロなんて考えもしなかった。ヤマハでの2年間があったからこそ。球が遅くてストライクの入らない投手を一から見てくれた」。今夏の都市対抗ではJR九州との2回戦で4回途中5失点KOされた。その雪辱とヤマハへの恩返しを誓った日本選手権で1985年以来、3度目の決勝で初優勝に導いた。

 中学3年から独学で習得したピアノが特技。「弾いている時は野球を忘れて気分転換できる」。寮の部屋にはヤマハ製のピアノがあり、ドラフト当日も報道陣の前で腕前を披露した。繊細な指使いでボールを操り、中1日でも疲労を感じさせないタフネスさも持つ。

 「ジャイアンツにいいところを見せたかったし、いい報告をしたかった。でも、それをプレッシャーにせず、最後に(ヤマハに)置き土産を残したいという気持ちだった」。巨人には日本一と最高殊勲選手賞を手土産に、プロの世界へ挑む。 (友成 貴博)

 ▼ヤマハ・美甘(みかも)将弘監督(就任2年目で日本選手権初制覇に導き)日本一になりたいという思いでやってきた。偉大な先輩方に追い付け追い越せで、新しい伝統を我々の代でつくっていきたい。

 ◆池田 駿(いけだ・しゅん)1992年(平4)11月29日、新潟県生まれの23歳。出雲崎小3年から野球を始め、新潟明訓では3年夏に甲子園で8強。同年、高校日本代表として日米親善大会出場。専大では東都2部で通算13勝。ヤマハでは2年連続で都市対抗に出場し、今夏は2回戦敗退。1メートル74、71キロ。左投げ左打ち。

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