バットを置いた多村外野手 フリー打撃で最後の“アーチ” いつか指導者として…

[ 2016年10月10日 10:25 ]

今季限りでの現役引退を表明し、22年間の現役生活を振り返る多村仁志外野
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 日本一、世界一も経験した通算195本塁打のスラッガーが、静かにバットを置いた。中日の育成選手・多村仁志外野手(39)。10月1日、名古屋市内の球団事務所で戦力外通告を受け、現役引退を表明した。プロ生活、22年目だった。

 「支配下になって1軍にあがって、戦力にならないといけなかった。支配下になれなければ身を引こうと思っていた。22年間、いいプロ野球人生を送れた。もう痛い思いをしなくていいのかな」

 骨折、肉離れ…。故障に苦しんだ現役生活をしみじみと振り返っていたが、すがすがしい表情にも見えた。

 「去年は、まだできる、と思った。でも今はホント、やりきった感がありますね」

 昨オフ、DeNAから戦力外通告。現役続行を希望し、今年1月に中日と育成契約を結んだ。背負った番号は「215」、年俸は推定300万円。しかし、今季は春季キャンプから右ふくらはぎ痛など度重なる故障に苦しみ、7月末の期限までに支配下登録は叶わず。以降は「若い選手のお手本になれれば」とプレーしてきたという。言葉通りファームには多村を慕う後輩たちが多数いた。

 横浜高から94年ドラフト4位で横浜(現DeNA)に入団。04年、40本塁打をマークし、右の長距離砲として活躍した。06年の第1回WBCで世界一に貢献。通算成績は1342試合、打率・281、195本塁打、643打点。横浜時代から縁のある谷繁前監督には9月30日、「戦力になれずに申し訳ありませんでした。辞めようと思います」と電話を入れたという。「ご苦労様でした」とねぎらってもらった。

 最後の練習となったのは30日のナゴヤ球場。フリー打撃のラスト1球は、打撃投手を務めた波留打撃コーチが投じたボールを、高らかと飛ばして左翼フェンスを越えた。「ラスト1球は、試合と同じような気持ちで、集中しました」。これが最後の“アーチ”になった。

 球団事務所で取材した報道陣は5人だったが、取材後は多村さんの方から手を差し出してくれ、その場にいた全員と握手。こちらは「ありがとうございました」と言うことしかできなかった。今後は未定。「ファンあってのプロ野球。ファンの人たちがいなかったらここまで来られなかった。本当に感謝しています。いずれは指導者として野球界に恩返しができたら」。笑顔でさわやかに去っていたスーツ姿に、またいつかユニホームに袖を通した指導者としての今後を、期待したいと思った。(中日担当・細川 真里)

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2016年10月10日のニュース