球児 火の玉背番号「22」復帰プラン 甦れ!全盛期の輝き

[ 2016年10月7日 05:44 ]

背番号「22」だった当時の阪神・藤川
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 阪神が藤川球児投手(36)の 背番号22への変更を検討していることが6日、分かった。4年ぶりに古巣復帰して先発にも挑戦した今季は18番だった。既に来季はリリーフ専念の方針が固まっていて、球団は05年から付けて華々しい活躍を演じた“レジェンド番号”への復帰を今オフに打診する模様。12年ぶり優勝を目指す来季、5年ぶりに背番号22のユニホームで戦う可能性が現実味を帯びてきた。

 ピッチャーは藤川、背番号22―。

 懐かしい場内アナウンスが来季は球場で流れるかもしれない。藤川に背番号22への復帰を打診する案が浮上していることを球団関係者が明かした。

 「戻してもいいと思っています。やはり(背番号22は藤川の)イメージが強いですから。あくまでも本人の意思を優先します。意思を確認してからなので、今は(具体的なことは)何も言えないですが…」

 昨秋に4年ぶりに阪神へ復帰した藤川が18番を付けた背景には“時間のズレ”があった。入団会見があった昨年11月24日の時点では、14年から背番号22を付けて2年連続セーブ王に輝いた呉昇桓(オ・スンファン)との残留交渉の最中だった。空き番号の中からエース番号とも言える18番に決まった後、呉昇桓が12月11日に退団。結果的に今季は22番が空いたままになっていた。

 藤川本人は「背番号も含めてこだわりはない。いい番号を与えていただいたことには感謝しています」と快く18番を付けた一方、<球児=22番>の印象は一際強く、いまでも色あせることなく虎ファンの心に残っていることは確かだった。

 98年ドラフト1位で入団した当初は30番、02年からの名前をもじった92番を経て、当時の岡田監督の意向で05年から22番に変わった。日米両球界で活躍した佐々木主浩氏のような抑え投手を目指して欲しいという期待とともにセットアッパー役に抜てきされ、リーグ優勝に貢献。06年途中から抑え役を務めるようになり、07年にはプロ野球記録に並ぶ46セーブを挙げるなど猛虎の絶対的な守護神として君臨した。

 数々の金字塔を打ち立て、代名詞だった22番がいまも空いていることから球団は今オフに復帰を打診して藤川本人の意向を確認する見込みだ。既に今春キャンプから開幕当初に挑戦した先発ではなく、来季はリリーフ専念の方針が既に決定。期待される役割に照らし合わせても、22番復帰には絶好のタイミングと言えそうだ。

 藤川も今季全日程が終わった翌2日に「やり返す準備は十分にできると思う。楽しみが多い。練習する課題は見つかった。自分が任されるであろうところに照準を合わせて、きっちりやるということ」と話すなど復帰2年目へ強い意欲を示していた。世代交代が進む猛虎にあっても来季も必要不可欠な存在。ファンの思いも詰まった愛着深い22番を背負って勝負の2017年に臨む可能性が出てきた。

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2016年10月7日のニュース